出来なくて当たり前 出来たら男前

青年海外協力隊fiji野球隊員備忘録.小言戯言独り言。

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気にしない・忘れる・諦める

人生で大事な能力を考えていたら

「その全てを初期設定で埋め込まれているO型の人って最強だよね」と言うことに気が付いた。

 

圧倒的偏見をぶん回して書きました。

 

 

 

 

動物園のアイドル パンダ

 

こだわりが強すぎるが故に絶滅に瀕している

世界中で野生のパンダは1900頭ほどしか居ないと言う。

 

絶滅に瀕している理由の一つがパートナーへの拘りの強さ。

どんなに強いオスだとしても、見た目や性格を(メス側が)気に入らないとパートナーとして成立しないんだとか。

 

「そもそも強いパンダとは何なのか」と言う疑問は今回考えない事にしよう。

 

 

彼らが数を減らしている もう一つの理由が食べ物への拘りにある。

 

クマ科のパンダの消化器は肉食獣のものであるにも関わらず、200万年も笹を食べ続けている。

 

未だに対応しない消化器の構造にも驚きを隠せないが、それでも好きな物を食べ続ける姿勢は脱帽ものだ。

 

消化し切れない笹と戦い疲れ切った腸を一新する為に1ヶ月に一度、粘膜の塊を排泄すると言う。

 

この時の凄まじい痛みを耐えているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通勤電車での出来事を少し

 

毎朝の満員電車に嫌気が刺しながらも仕方なく揺られて通勤しているいる。

 

 

寒さ応える3年ぶりの日本の冬は、ドアが開く度に容赦無く冷気をぶつけて来る。

 

 

次の駅で乗って来た女性の乗客が隣に立った。

 

普段は隣に絶世の美女(馬場ふみかとか)が立とうと気が付かないほど睡魔に侵されているのだが、この日ばかりはヤケに目が冴えていたので細い目で挙動を追い掛けた。

 

女性は目の前の吊革をウェットティッシュで拭き始めた。

直前まで男性客がつかまっていた事を、そしてその男性が目の前に座っているのを知ってか知らずか

電車が次の駅に着くまで拭くのをやめなかった。

 

 

隣でそれを見ていた私の感想はと言うと

 

「めっちゃ拭くやん」

 

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィジーでジムに通っていた時にも”めっちゃ拭く人”は居た。

 

ランニングマシンに乗る前に入念にマシンを拭くアジア人女性。

 

 

最初は気にして自分も汗で迷惑をかけないか気にしていた。(自分はランニングマシンを使わないにも関わらず)

 

毎朝同じジムで顔を合わせていて気がついた事がある。

 

 

”その人”は、誰の後でも、前に使って居た人が居てもいなくても拭く。と言う事

 

 

 

気にするだけ無駄だ。と思った

 

 

 

 

 

 

 

 

気にしない

忘れる

諦める

(こだわらない)

 

 

 

この辺の感覚は”生きていくのに大事なこと”だと思い始めた。

 

特にフィジーに住んでから。

 

 

 

”こだわり”は大事だけど”神経質過ぎる”と生きづらい。

ある程度の妥協は必要なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

O型の魅力を詰め合わせたような人間が学生時代の友人に居る。

笹の葉の様にしなやかに、緩さの中に芯の通ったそんな彼を紹介したい。

 

 

「引っ越しを手伝ったら焼肉が食える」と言う誘いに釣られて、おなじみの街に車を走らせた。

(実際には寿司までご馳走になった)

 

 

彼の新居は、十分過ぎるくらいの広さと家賃が心配になるほどの綺麗さと立地の同世代も羨むモノだった。

 

ただ、今回私が伝えたいのは新居の素晴らしさでは無い。

彼がいかに素敵な人間で在るかと言う事でもない。

 

 

 

驚くべきは引っ越し前夜の(旧家の)散らかり具合である。

 

「翌10時には業者が家電を見積もりにきたり、家具を引き取りに来る」と言う事前情報からは想像もつかないほどに片付いていなかったのである。

 

 

 

先に断っておくと、彼の部屋を散らかしている原因は我々(自分を含む数人)にも大いに在る。

週末になると遊びに来る大学生ノリの社会人達に、隔週で散らかされる事が分かっている家主は「片付けない」と言う選択をしていたのだ。

 

 

なので普段の部屋が散らかっている事には目を瞑ってもらいたい。

 

 

 

ただ、考えて欲しい。引越し前夜にいつも通りに散らかっている部屋を。

 

 

積み上げられた”週刊少年ジャンプ”を引っこ抜いては読み散らかす友人を。

 

自分が恐ろしい。

 

 

 

 

 

私自身、特筆すべき才能は無いのだが引越しだけは人より多く経験して居る。

国内で4回、海を渡って3回、引越しには慣れたく無いが「自分がいかにグズか」を理解しているために早めに準備を始める(けどいつもギリギリになる)。

 

 

そんな私からすると、彼は(部屋は汚いけど)しっかり者の”出来る人間”であった。

 

 

仕事を持ち帰る事をせずに残業も殆どしないでちゃんと遊んでくれる。

責任感の強さや持ち前のトーク力から我々のリーダー的存在だった。

きっと職場のデスクもきちんと整理整頓されているに違いない。

 

そんな彼がなぜギリギリまで片付けをせずに前日も遊んでいられるか。

それは圧倒的余裕(気持ちに)が在るからでは無いだろうか。

 

 

彼は「ゴキブリもびっくりの生命力だからな(俺は」と言いながら深夜3時に洗濯を始める

 

この絶対的人間力と言うか受容力。

彼が愛され受け入れられる所以。

郡を抜いたミスター大雑把。

 

彼はO型の魅力に満ち溢れた人間なのだ。

「O型が一番モテる」と言う都市伝説が在るのも納得が行く。

 

 

”B型の恋人も彼との生活で徐々に逞しくなって来ているらしい”

と言うエピソードを語りながら片付けを続ける彼

 

「コレはパンツ  ペッ(彼女の下着を投げる音)」

 

雑誌の下敷きになっていた布切れをゴミ箱に放り込むのを見て大笑いする。

(翌日合流した恋人さんにバレて怒られていた)

 

 

 

 

 

 

 

大学進学を機に上京して、都内で2回目の引越し。

住んでいる町の無名のラーメン屋を勧めて来るほどの適応力。

 

ちょっと聴いただけで「俺もギターやってみたい」と言ったり

大学3年から野球を始めちゃうチャレンジ精神

職場が決まる前に住居を決めてしまう思い切りの良さ

 

彼から見習いたい所はいっぱい在るけど圧倒的存在過ぎて一生掛けても敵いそうにない。

 

良いなぁO型。

 

その柔軟な生き方でこれからもパンダの様にノソノソ生きていってくれ。

 

 

 

また遊ぼうぜ。

結婚おめでとう。

 

NO SWING

NO HIT!!!!!!

 

 

虎穴に入らずんば…

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前回の投稿からかなり間を開けてしまいまして申し訳ありません。

と言う内容の始まり方をするのはこれで何度目だろうか

 

決まり文句のようになったこのフレーズを打ちなが自分でも疑問に思う

 

「誰に謝っているのだろう」

 

facebookで帰国した旨を更新した際にも

 

帰国の挨拶を直接出来なかった事などを詫びる内容をさして

「たくさん謝ってたね」とコメントを直接頂いた。

 

Facebookは兎も角、こちらのブログは備忘録程度で始めたものなのだから更新頻度の低さを詫びる義理も無いのだ。

 

しかし更新する度にコメントをくれる友人や

「読んでいます」とメッセージをくれる知人の言葉に一片の期待も寄せていないかと言うと嘘になる

 

 

施しを受けた際に「すみません」と言ってしまう日本人的風習

英語だったら絶対に「Thanks!」なのに

 

と言う事で仕切り直しで

 

毎度読んで頂き有難うございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

すでにSNSを通じて報告させて頂いておりますが、8/13任期満了で帰国しておりました。

フィジーの想い出やお話はぼちぼち振り返っていこうと思いますが本日は就職のご報告を取り急ぎ。

 

 

帰国前に抱えていたモヤモヤを記事にしていましたのでそちらも是非。

 

no-swing-no-hit.hatenablog.com

 

 

 

 

 

先月までに何度も日本を襲った超大型台風

 

久しぶりの連休も、猛威をふるった大雨や突風を前になす術もなく自宅待機に徹していました。

 

夏の猛暑や冬の大雪などの度にテレビがやって来て大騒ぎをする私の地元は

 

水がマンホールを何メートルも跳ね上げると言う映像が出回ったおかげで今回もテレビが来ていました。

 

 

実際に住んでいるのは高台の上なので生命を脅かすような甚大な被害はありませんでした。

生活も大きく損なう事なく済みました。

 

 

テレビをつければ被災地の報道ばかりで「面白い番組やってないのかよ」なんて

学生時代の自分なら言っていたのかも知れません。

 

ここ数年で関わるようになった人達の住んでいるところや、訪れた地方なんかが報道される度に

 

「とにかく生きていてほしい」と願うばかりです。

 

 

知り合いの地元、友人の故郷、同期の住む街

 

自分と縁があるわけでも無い街に、画面の向こうの世界にいるかも知れない誰かを思って心配になります。

 

「元気だよ」

「大丈夫だよ」

 

その1行を見たくて連絡をします。

 

 

フィジーから連絡をくれた人もいました。

自分も心配されているんだと思うと「大丈夫だよ」と発信するのも我々の務めなのかもしれない。

 

私は元気にしておりますし、日本代表(ラグビーも野球も)をしっかり応援しています。

(こんな時だからこそ明るい話題を作ってくれるスポーツの力に期待しています)

 

 

 

 

 

相次ぐ自然災害に日本全土が被災地になりつつある今日この頃。

 

自宅が流されて行く被災者を観ると、画面越しでも心が痛みます。

 

目を背けたくなる光景

 

見て見ぬ振りしたい現実ばかりです。

 

 

 

天災の脅威に始まり、増税の問題、年金、奨学金の支払い、就活

 

 

ゆとり世代(心にゆとりが無い世代)の私は、考えるだけで不安になる将来の問題が山積みです。

 

「しかし逃げてばかりはいられない」

 

 

 

と言う事で逃げずに戦う事にしました(と言う表現が正しいのかはわからないが)

 

 

 

 

兼ねてから入りたいと考えていた教育の現場に入る事に致しました。

 

 

都内の学校からいくつもお話を貰っていたのですが、踏ん切りが付かずに2ヶ月以上渋っていました。

 

教師のいじめが発覚したり、保護者対応の問題や働き方改革など何かと話題の学校現場に

 

あえて飛び込んでみようと思いました。

 

 

実際に働いてみないと見えて来ない部分もあると思うし

 

 

虎穴に入らずんば虎子を得ず

 

 

いい所も、そうじゃ無い所もやってみて初めてわかること

 

 

 

 

 

 

「なんでわざわざブラック(企業)だとわかっている所に行くの」と何度も聞かれますが

 

「ブラックかどうかなんてやってみないとわかんないじゃん」と言う反骨心と

 

批判する奴は声を大きく張り上げるけど、肯定する人間は静かに全うしているだけで確実にいるはずと言う仮説を立証する為(実際に教員をやっている殆どの友人たちは「楽しい」と言っている)

 

 

不安はあるけどとりあえずやってみる事にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

フィジー にいた2年間で取り組んだものの中で最も考え方が変わったものの一つにズンバ(ZUMBA)がある。

浅はかな知識(というか個人的見解)を基に言うと

 

早めのテンポの音楽に合わせ激し目に踊るダンスエクササイズの様なもの

ズンズンバンバン激しい音楽と激しいダンスが入り混じることからZUMBAと言うらしい(そんな訳ない)

 

 

フィジー に赴任した直後から「ZUMBAをやろうぜ」と お誘いを受けていたものの気が向かず適当な返事だけをしていた。

 

 

「女の人ばかりがいるイメージ」

「居るとしてもオジサン」

「ダンスは苦手」

 

言い訳を並べて避けていた

 

ある日ひょんな事からズンバに行く事に

 

 

 

実際に行ってみたら上記の言い訳は殆ど当たっていた

 

女の人がぎっしりのスタジオにオジサンが数人。

始まって直ぐに自分の絶望的なセンスの無さに笑ってしまう。

 

自分の運動神経に少しは期待していたものの、あまりの踊れなさに驚いた。

 

 

たった1時間。たった1時間で息が切れる。

ZUMBAは 週6で運動して居る自分にもハードなものだった。

 

踊れなさすぎて終始ひきつっていた顔を見て、誘ってくれた友人に「どうだった?」と聞かれ

 

「全然できなかったのに楽しかった。また来るわ」と言うことを言ったそうな。

 

この時点で帰国の3ヶ月前。

 

それから時間があればZUMBAに行くようになり

いつの間にか週2のZUMBAが楽しみになっていました。

 

いつしか回数券(レッスンのチケット)を買うようになり

 

一時期は先生がいなくても音楽に合わせて踊れるくらいになってました(1曲だけ)

 

 

帰国した今でもZUMBAの曲を流すと体が踊り出します。

(給食の放送でTaki takiが流れた時は驚いてシシャモを飲み込んでしまいました)

 


DJ Snake ft. Selena Gomez, Ozuna & Cardi B - Taki Taki (Official Audio)

 

 

ダンスは女性がするものという自分の中での固定概念がぶっ壊せたのは良い経験になりました。(女の人ばかりってのも悪く無いか…と言う下心がキッカケでしたが)

 

他にも色んなものがぶっ壊せると良いな(いい意味で)

 

 

 

 

現在来年度の進路に向けて色々模索中なのでそちらも決まり次第記せたらと思います。

 

 

 

やってみなきゃわからない

 

ダメだったらやめたらいい

 

そう思ったらまだまだ挑戦できそうです。

 

 

出来なくて当たり前

出来たら男前 だから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは少しの間、先生として挑戦してみます!!!

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!

裁判を起こす

私ごとで恐縮ですが任期延長致しました。

2017-1 の同期の隊員は殆どが帰国し就職活動や神学といった新天地での活躍をされている事と思います。

 

大嶋は…というと未だに南国Fijiで野球をしています(指導)

 

world-diary.jica.go.jp

本来JICAフィジーオフィスには隊員の任期延長枠はないのですが

今月末から始まっている12歳以下の世界大会(硬式野球)に出場が決まり特例で任期園地長を許して頂きました。

 

詳しくはそのうち…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

no-swing-no-hit.hatenablog.com

 

前回のBUTAKOに引き続き事件ものをお送りいたします。

 

フィジーに来て丸2年が経ち活動もいよいよクライマックス、フィジーでの生活も残りわずか(延長とは言え大会終了後には帰国)となった今 野球以外の問題に頭を悩まされています(いました)

 

 

 

 

 

最近(というかここ1ヶ月の間に)裁判沙汰に巻き込まれました。

 

 

 

 

時は遡ること役2年前。

フィジーに赴任し1ヶ月が過ぎた土曜日に傷害事件(未遂)に遭いました。

 

当時は未だオフィスの鍵を持たされておらず、同僚がくるのを配属先の前で待っていたところをヤク中の現地人に絡まれるという事件でした。

 

当日たまたま約束の来ない同僚を道端で立って待っている際に、ふらふらと近づいてくる現地人。

まだ英語にも現地語にも自身のない自分は適当にやり過ごそうとするも、彼は執拗に絡もうとしてくる。

明らかに目がおかしい。常軌を逸した表情で僕の持っているバットを指差し何かつぶやいている。

「それをよこせ」と言いたいのがジェスチャーから判断できた。

 

瞳孔が開ききった状態の目と、涎を半開きになった口から溢すその様は常人のそれとは掛け離れて

見るからに「ヤバイやつ」だった。

 

こう言った事態に巻き込まれた場合を想定してJICAでも現地でのオリエンテーションでも対応を教え込まれている。

正確な文言は忘れたが「金銭や物を求められたら拒まずに渡し、命や安全を確保せよ。」と言った内容だったと記憶している。

 

この時私がとった対応は上のものからかけ離れたものだった。

「ヤバイやつ」の求めに対し拒否し抵抗したのだ。

 

恐怖で声も出せない状態でも「このバットを取られたらオワリ」と言うことがわかったからだ。

野球道具で事件を起こされたら、今後の活動に支障が出るかもしれない。

単純にやられる。バットを取られたら負け。

 

そう判断し抵抗した挙句、揉み合いになった。

 

幸い、近くを通りかかったオーストラリア人が助けてくれ事無きを得たが、その事件が私のメンタルに及ぼした影響は小さくなかった。

 

他人が信じられなくなった、現地人が恐ろしいと思った。

それから一人で歩く時に定期的に後ろを振り返る癖は今でも抜けない

それまで自重のみのトレーニングを行なっていたがジムに通うようになった。

(お陰で5kgほど体重も増えた)

 

2年が経ち色んな出会いもあり、今では現地人が大好きだが素敵な人だけじゃないと知っている。

 

 

そんな事件から2年が経とうとしていた先月

JICAフィジー事務所から「被害届の取り下げ」を提案された。

事務所の意図は以下の通りで私も理解した上で了承した。

 

①裁判沙汰に対応している時間がない(活動が忙しく割く時間がない)

②このままにしておくと名前が一生残る(未解決事件として書類に残り続ける)

③これまで2年近く何も進展して来なかった裁判関係の事項がうまく進むと思えない

(先延ばしにされるくらいなら終わらした方がいいのでは?)

 

当時の自分はとっくに犯人に対する負の感情などその他のフィジーに対するイメージもポジティブなものに変わっていたので「被害届の取り下げ」にアグリーし検察省へ赴いた。

 

検察でこちらの事情(JICAとの契約も終わりかけている事や時間がない事を中心に)伝え、取り下げの手続きに進みたい意向を示した。

ところが相手はそれを望まなかった。

 

①彼(犯人)は全く反省していない。

②外国人はそうやって帰国してしまうので(うやむやになって)起訴できない

③だから外国人が狙われる(金銭を持っていることもあるが)

 

以上のことを整然と並べられ「起訴するためにお前の証言が必要」と言われてしまった。

 

なんか事務所で(一番だが二番だか)偉い人が「法廷に立つべき」と凄まれてしまい単純にびびった。

 

 

その日は「考える時間が欲しい」と言うのが精一杯だった。

 

それから1ヶ月ほど裁判について考えることになった。

 

①次の仕事との都合がつく場合のみで良い。

渡航費や移動費、宿泊費その他は全て負担して貰える。

 

かなり譲歩して頂きもう一度フィジーに戻ってくる決意をし始めていた。

 

①日本人(を含む外国人)は逃げる(みたいに)言われて悔しかった

②裁判に出て証言してみたかった(好奇心と英語の向上心から)

③旅費を全額出してくれるなら良いか

④まだ次の仕事も決まってないし、それまでなら良いか

⑤裁判で戦うことで他の日本(を含む外国人)の被害を防げるなら…

 

 

 

 

 

軽く書いたがそれなりに考えた上で決断した

 

 

しかしすぐさま安易な考えはひっくり返される

 

先日JICA事務所に呼ばれ犯罪担当、法律担当の現地職員も同席のもと話し合いが行われた。

 

①私が起訴して仮に有罪だったとしても犯人は執行猶予付きで出てくる(軽犯罪だから)

②外国人が法廷に立つのは珍しいからメディアに報道される→日本人(やJICA隊員)のイメージダウン(日本人がフィジー人を牢屋にぶち込んだと言う事実だけを受け取られた場合)

③そもそもJICAとの契約終了後は自分の責任でやり取りをして法廷まで来て全て英語でやり取りをしなければならない。

④いつまで拘束されるか未定(裁判が今年中に行われるかもわからない)

 

 

以上のことを含めフィジーでの裁判の仕組みや、フィジー人が受ける印象などを示唆され考えを改めました。

 

 

誰のサポートもなく法廷で証言するまでのプロセスを遂行できるのか

いつ終わるかも判らないこの問題と最後まで戦う覚悟が本当にあるのか

 

この問いに対してYesと言い切ることが出来ない自分が悔しかったです。

結局最後に逃げてしまった自分が情けないです。

 

ただ、時間を犠牲にして戦ったところで自分の思い描いていた結果が得られない。

自分一人が戦ったところで日本人の犯罪被害が減る数なんて大して変わらない。

 

となんとなく理解した状態でモチベーションを維持していくことが出来ないと思ってしまった。

 

 

 

 

そもそも、自分の中では過去の事と許していた問題を検察の偉い人に煽られて熱くなってしまった。

舞い上がって、自分の出来ることを過大評価して一人で騒いでしまった。

 

 

結局もう一度検察省に行き「やっぱ法廷には立ちません」という結論に至った。

 

ここに行き着くまでに1ヶ月以上振り回してしまった担当調整員や事務所の皆様には申し訳ないです(検察の方も)

 

この結論に至るまでに1ヶ月自分なりに真剣に考えたし、簡単に決めたわけもなく

最後は結局最初に決めた道に戻ることになった訳だけれど、これは現状維持ではなく前に進んだ結果同じ場所に帰って来たのだ

 

戦う事を一度考えたから学べた事も多くあった

 

 

これまでにわかったことは

 

色んな理由で外国人は犯罪被害に対象として狙われやすい。

裁判はプロセスが複雑で簡単ではない

検察の人はお話がお上手(プロだもん当たり前)

必ずしも被害者の事を思って話しているとは限らない

自分は煽られると戦いたくなる性格

そのくせい自信はない(特に英語)

なんやかんやあったけど今でもフィジーが好き

 

 

全額旅費を出してくれる法廷証言ツアーがなくても、またフィジーには遊びにきます必ず。

 

 

今回も相変わらず文章が荒れていますが記憶が新しいうちに書き記すために筆を走らせています(もちろん筆じゃない)

 

 

本当はもっとお伝えしたいお話があるのですが、自分の備忘録として書かずにはいられない内容だったので書かせて頂きました。

いつかフィジーでの2年間を振り返った時に一つの思い出にするために整理しています。

 

 

今は台湾に来て世界大会の真っ最中ですので、この問題はここで完了。

 

 

 

 

最後に現在参加中の大会のお知らせです。

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夏休みの楽しみの一つとしてフィジー野球を応援してやってください。

 

NO SWING

NO HIT!!!!!!

ぶたこ

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BUTAKO-ぶたこ

 

 

フィジー初日のブリーフィングで教えられたフィジー 語。

英語で言うところのsteal

Fijiの言葉で「泥棒」という意味です。

 

 

 

 

私は野球隊員なので活動中は「盗塁」の意味でBUTAKOとよく使います。

 

フィジー野球の今のレベルで盗塁をすると殆どフリーパス状態になってしまうので基本的に「盗塁はナシ」と言うソフトボールのようなルールでやっています。

 

それでも走るのが大好きなフィジアンはバンバン盗塁します。

「走るな」って言っても走る。

僕の目を盗んでは走る。(盗めて無い)

戻される事が分かってても走る。

 

普段ダラダラしてるのに、そーゆうところだけやたらと走るんです。

 

 

 

ただ走るの大好きな彼らも絶対に走らない日があります。

それはグラウンドの反対側に警察がきている時。

(市営のグラウンドなので他のスポーツと共有している)

 

フィジーにはラグビークリケットのシーズンがあって、警察やミリタリーのチームが練習や試合をやっている事がある。

 

警察や軍の男たちが集まっている中で「BUTAKO」なんて言った日には何が起こるか

 

 

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雨の日にスライディングの練習をする の図



 

BUTAKO-ぶたこ!

 

 

 

 

引ったくりやスリにあったら、とりあえずコレを叫べ

そう教わった日から もうすぐ2年が経とうとしています。

 

 

3月の終わり

 

自宅が空き巣の被害に遭いました。

 

裏口のドア(木製)をぶち破られ、現地の通貨を取られました。(バリカン、半ズボン、その他)

 

 

 

 

 

 

そして先月またもや自宅が空き巣に入られました。

 

前回とは別の扉から(鍵を壊して)侵入された模様です。

 

 

 

今回は金目のモノを根こそぎ持っていかれました。

 

財布(日本円、クレジット、キャッシュカード)一眼レフ、ノートPCJBLスピーカー、電気シェーバー、ギター、カバン×2、運動靴×3、プロテインkg、その他

日本円にして被害総額41万円ほど

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこの空き巣は2回目の被害ではなく3回目

 

1週前の月曜にも家宅侵入未遂事件が起きています。

 

 

 

昼の1時前に、自宅に忘れ物を取りに帰ってきていた私はトイレで一息ついていた。

 

自分の便意と向き合い下腹部に力を込めているとトイレの外に足音が

 

壁を1枚挟んで外は裏口。先月空き巣の被害に遭い扉を修理し鍵を追加して在る。

 

 

まさかと思い息を潜めていると

 

 

ガチャガチャと言う金属音(1枚目の扉の鍵を壊していた?)の後に

ドンと言う何かが扉にぶつかる音

 

まさかが確信に変わり、犯人を写真に収めようと立ち上がる。

 

音を立てないように尻を拭き

水を流さずに便座を下げ

パンツをあげズボンを上げ

物音を立てずにトイレの外に出る

窓から犯人の顔を拝んでやろうとリビングに向かおうとしたその時

 

 

バタン!

 

 

トイレのドアを無意識(いつものクセ)で閉めてしまった。

 

 

音に気づいた犯人と思われる男が

 

「やべっ」と舌を出しながら走って逃げていくのを

「やべっ」と舌を出しながらリビングから見ていた

 

声が出なかった

 

恐怖なのかなんなのか

 

「しばらくそこから動けなかった」

犯罪被害に遭った人がよく言うあの言葉。まさにそれだった。

 

 

後から気がついた事だが、事件当時 すぐに職場に戻るつもりだった自分は玄関の扉を閉めていなかった。

もしそれに犯人が気がついていたら、リビングで鉢合わせていたかもしれない。

 

命拾いしたのは犯人だったのか私だったのか。

 

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部屋の中を荒らされ途方に暮れている の図



 

 

 

この4週間で3度も自宅が狙われている。

大通りに面している一番手前の家。と言うロケーションに加え

周りが木に囲まれ外から見えない。と言う狙いやすく逃げやすい好条件な家

 

周辺の家でセキュリティを置いているのはウチだけと言うのが余計に目立つし

その上セキュリティは夜間しか居ない

 

時々BBQなどパーティをしているのが通りから見える

 

 

狙ってくれと言っているようなものなのかもしれない

 

 

2度目の事件があった際にも「荷物を持ってドミトリーニ移ってくれても良い」と言うことを提示されたが断った。

週末に自宅でお世話になった人の送別会(BBQ)をする予定があったからだ。

 

 

 

JICAの方や大使館の方、日系企業の関係者やその家族の皆様には日々お世話になっている。

もちろん仕事は現地の人ともに動き同じ時間を共有している。

 

首都とは言え娯楽と呼べるものは殆どなく邦人関係者とのスポーツが週末の恒例になっている。

それ以外にも私の活動で教え子の練習相手になってもらって居たり、公私ともにお世話になっている。

 

 

よく遊んでもらい支えて頂き、助けられてばかりの我々が返せる事はなんだろう。

コレは同居人とよく話していることなのだが

我々が返せる事なんて殆どない

 

ボランティアと言う身分の我々が給料を貰っている方々に返せるものというのは

「お金以外の手間暇をかけた何かしかないだろう」と

 

 

 

それが自宅に招いてBBQをして楽しんで貰うと言うカタチになっていたのだ

 

 

 

2人で話し合って自宅に残ると言う決断を下した際も、そこは変えずに行こうと決めた

 

 

それが裏目に出たのかも知れない

 

「空き巣にあっても尚、パーティーしてるぞあいつら」と思われたのかも知れない。

 

 

 

もちろん戸締りは厳重にして居た

 

それでも目立って居たのか目をつけられて居たのか

 

 

 

反省はしても後悔はしない 

と言う謎のポリシーのもとに生きている自分としては今回のBBQはやはり反省するべきところだろう

 

 

 

海外での生活において「目立ってはいけない」と言うのは基本の基

 

 

今回の件は大いに反省して残りの人気を安全に過ごしたい。

 

 

 

 

 

続きを読む

逃したサカナ

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東日本大地震から8年

 

ここフィジーでは日本のニュースから遠くなる

 

それでも毎年思い出すのはレミオロメンの”3月9日”が好きだから

 

 

そして当時好きだった女の子の誕生日を挟んでの3.11

 

 

 

 

大きく揺れるネット。ヒビの入ったグラウンド

スクールバスが走れないから親が迎えに来るまで練習をしたあの日

 

1ヶ月近く部活もない学校もない不思議な時間を過ごした高2になる春

初めて出来た恋人に会いに行くも計画停電で電車もバスもダイヤ通りに動かなくて

あの時間が、あの1ヶ月が異常に長く感じた

 

 


レミオロメン - 3月9日(Music Video Short ver.)

↑↑↑これが弾きたくてギターを始めて1年が経ちました。

野球でもなかなか出来ないマメが指先に。 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで土曜の練習にこなかったの?」

 

 

 

 

日曜の夕方に選手からメッセンジャーが入った。

 

先々週の土曜に休暇を貰って任地外に出かけた。

 

お世話になっている方々が任期を終え 人の入れ替えが多くなるこの時期

 

“最後のチャンス”と海釣りに誘って頂いたのだ。

 

 

 

土曜のお誘いは殆ど断ってきた。

 

任期中で最後になるかもしれない土曜休みをとって遊びに出かけた翌日のこと

 

休むことにももちろん後ろめたい気持ちがあった。

 

 

 

友人に話したら「いいことじゃん」と笑って こう続けた

 

 

彼らの中でグラウンドにケントが居ることが“当たり前”になっていたと言うことだから、それは嬉しいことだよね。

でも、ボランテイアとしてはそれで終わってはいけない。ボランテイアはいつか居なくなる存在だから。居なくなる準備をしなきゃ。

 

 

自分としては単純に「あいつサボったな」と思われたのかと考えて居たけど(笑)

 

 

 

居なくなった時にしか気づきやしないんだから

 

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人生初の釣りはフィジーの海でデビュー

 

キャスティングと言って針のついた竿を遠心力を使ってしならせる様に振り回すのですが、これが結構難しい。

 

野球で言う投球ホームに近いが故に右手を離してしまい何度も釣竿ごと海に投げそうになった。

 

 

ルアーが着水した瞬間に糸をまいて魚をおびき出す、この時の擬似餌の動かし方に経験の差が出たように思う。

 

エンジンを二つもつけたゴッついボートで海の上に6時間

 

先輩方4名はみんな2匹以上釣り上げていたものの、大嶋はと言うもののNO HITでした(笑)

 

一度だけ魚が掛かった瞬間があって、すぐに皆んながサポートに来てくれるも、引きの強さに竿が折られて逃げられてしまった。

 

単純に経験、技術不足で折ってしまったと自分では理解して居るが「あんだけ折れるってことは、きっと大物だったんだよ」とみんなに慰めて貰った。

 

 

何度も言われるとそんな気がして来る。

 

「一回だけ引っかかったのが大物で、竿を折られた」

 

同居人に釣果を尋ねられたときもそう伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

Every fish that escapes, appears greater than it is.

 

 

 

 

 

「逃がした魚は大きい」

【意味】

逃がした魚は大きいとは、一度手に入れかけて失ったものは、実際よりも大きく(素晴らしく)見えるものだということ。

【注釈】

三寸ほどの鯛でも、釣り落とせば目の下一尺の鯛に思えてくることから。

 

 

過去の事象を人は記憶の中で過大評価する事がある

 

良い思い出もそうじゃない思い出も

 

”失って初めて気付く”とか”思い出は色褪せない”とかそーゆうやつ

 

 

 

 

 

 

今回お世話になったとこの船長は釣った魚を海に返すことを許さなかった。

 

釣りの事は詳しくないけど、釣って魚でもサイズが小さければ海に返すことが良くあるそう。(小さいものまで取ってしまうと産卵総数が減り絶対数が減ってしまうから?)

 

国や海域によって基準は違えど時期や針のサイズなどで決まりを作っているらしい。

連れて行ってくれた先輩方も“返し”のない針を使っていた。

 

「釣ったのをリリースしたら、その海ではもう釣れなくなる」と言うのです。

 

  1. 一度人間と戦った魚が海に戻ると、人間の使うルアーや船の特徴なんかを仲間に教えて、魚達が賢くなる。

そんなおとぎ話のような事があるのだろうか(笑)

 

 

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日本にはサクラマスと呼ばれる魚がいる。

 

川に生息するヤマメの一種だ。

 

卵の段階ではどちらも一緒だが孵化して稚魚になった後の生存競争で違いがうまれる

 

動物界は弱肉強食

 

体の大きな強い個体が餌のたくさんある場所を占領すると:陸封型

 

体の小さな弱い個体は餌を求めて海へと降りる:降海型

 

 

海へ降りた小さな個体は、川よりも良質な餌を喰らい強くなって川に戻って来る

 

海から戻って来たヤマメのことをサクラマスと呼ぶそう

 

日本にいた頃よく観てた番組で言ってました

http://www.ntv.co.jp/aozora/location/cat685/

続きを読む

いつもの場所

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新年明けましておめでとうございます。

 

 新成人の皆様おめでとう御座います。 

 

 

 

私は都内で転居を繰り返した事もあり(当時の地元に友人もいなく)成人式に出なかったので大した思い出もないのですが唯一覚えているのは二十歳の誕生日を友人の家の駐車場で迎えた事。

 

一人暮らしの友人の家に入り浸っていた4人組で小さな車に背中を丸めて海まで行った思い出。

あの日は台風が接近していて大荒れの海を海岸から眺めながらパンツだけになって騒いだような。

文章にすると恥ずかしい話です。

 

 

あの頃はまさか自分が大卒で海外で働くなんて想像もしていなかった訳ですが、「人生何があるか分からない」とはよく言ったもので気がつけば海外で野球を教えているし通訳の仕事(のような事)もしたしコラムの依頼なんかも来る様になった。

 

2018年 24歳という節目の年にフィジーで沢山の方に出逢い色んな体験をし、沢山学ばせて頂きました。

有難うございました。とこの場に書き記した所で伝えたい人達には届かない事も多いので、どうにか違う形で返していけたらと考えております。

 

任期も残り半年となり2019年の半分は日本で過ごす事となりそうです。

就活も考えなければいけない所ですが、まずは目の前の活動を遣り切ってから

 

 

 

                                       

 

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 2年間の活動のメインのナショナルチーム

 

 

本来であれば今週までオーストラリアで大会に参加しているはずでした。

 

U12 Oceania-Champion ship  2018年度メインの活動のゴールを設定していた大会でしたが、参加国不足のため大会自体が中止。

2019年7月のW杯にはランク上位のオーストラリアが出場決定。

 

 

約2ヶ月。大会に向けて日曜以外ほぼ毎日練習してきた。

スポンサーも探してきて、ユニフォーム発注して…

 

任国内での活動では何度かこーゆう事もあった。

 

 

 

雨でミーティングが流れる。

フィジータイム(島国あるあるののんびりした時間)でイベントが遅れる。

サイクロンでイベントが中止。

 

 

 

 

ただ今回の大会は国際大会だし大会自体が無くなるなんて毛頭考えていなかった。

 

 

どうしようもない事なのだろうけど、直ぐに受け入れる事は出来なかった。

 

 

 

このニュースを同僚の口から聞いたのが12月の半ば。

やっと子ども達がチームらしくなり始めた大会の3週間前だった。

 

 

住んでいる家も停電し、同居人も出張で居ない中 1週間ほど一人落ち込んで居た。

 

あの1週間は本当に気持ちが落ちて料理も掃除も出来ずに真っ暗な家で寝る為だけに帰ってたくらいだった。

ご近所の皆々様方ににだいぶ助けられました有難うございました。

 

落ち込んでいたのは自分だけで選手たちは次の週から切り替えて練習にも笑顔できていました。

ちょっとくらいの嫌なことは忘れてしまう。

今目の前のことを楽しむ才能に本当に救われる。

 

こーゆうことは人生においても稀に起こり得る。

僕の人生でも何度も経験した。

ただ、だからと言って卑屈になるんじゃなく チャンスが来た時に飛び込める様に今出来ることを一生懸命やろう。

 

同僚が”大会中止”を子ども達に告げた時に話してくれたこと。

発展途上国に生まれ育った彼らは、我々なんかよりもよっぽど理不尽に耐えて来たのかも知れない。

 

 

 

ただ、この大会は2年という短い期間しか我々には与えられていない中での年に一度のビッグイベントであり「残念でした」では済ませられないのも事実。

このダメージは、この虚しさは「あんなに頑張った子ども達が不憫でならない」と言った類の物だけではない。

 

 

自分の教え子が活躍する姿が見たかった。

 

去年のU15の雪辱を晴らしたかった。

 

 

no-swing-no-hit.hatenablog.com

 

 

フィジー野球がどれくらい通用するのか見たかった。

 

その他諸々の色んな期待を背負っていただろうし、教え子たちと世界の舞台に立ちたかった。

 

 

 

悔しいのか哀しいのか虚しいのか今の自分の語彙力では表現できないけれど大会中止に至った経緯があまりに気持ち良くないものだった(特定の国の事など複雑な事情をここに書く事はしないけれど立場などを全部取っ払えるなら小一時間ほど文句を言ってやりたい)

 

 

ただ  ここまで任国に、チームに、教え子に感情移入が出来てるってのはいい事だ。と友人が教えてくれた。

 

これをただの仕事だと捉えるのなら面倒なイベントが一つ無くなっただけの話。

それを嬉しく思えないのは気持ちも彼らと一緒に在るからじゃないかと。

 

 

そう言われればそうなのかも知れない。

 

昨年も多くの人がフィジーを尋ねてきてくれた。

 

(大嶋の連携不足で来られなくなってしまったカズさん御免なさい)

 

トンガ、サモア、バヌアツ、マーシャル、ミクロネシア、、キリバス、日本から

 

同期、母親、元プロ野球選手、新聞社のジャーナリスト、大学院生の団体

 

 

 

ここ1ヶ月で5回もスバ市内を案内した。

 

 

運よくフィジーは協力隊の入っている(大洋州の)どこの国からも来る事が出来る。

日本からも直行便がある。

 

 


 

外から誰かが来ると決まって案内するのが夕方の海沿いとマーケットの2階。

 

 

決して綺麗とは言えない首都の海も、夕方だけは綺麗にみえるし

 

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朝焼けと夕焼けが見られるのは海沿いに住んでいる者の特権。

2階から見るマーケットの果物売り場も曜日によって景色が変わる

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木曜日はもう少し彩り豊かなんだけどな

 

自分の好きな景色を見てもらいたいし、少しでも好きになってくれたら嬉しい。

 

プロ野球選手が来てくれた時に食べたマーケットのパイナップル

 

「今まで食べたパイナップルの中で一番美味しい!」

 

あの言葉が一番嬉しかった。

 

 

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⬇︎北篤が行くフィジー野球紀行⬇︎ コーチのコラムです。

http://www.giants.jp/smartphone/G/column/36026.html

 

 

 

 

大して案内できる所も無いのだけれど、ここがアレでこっちを曲がるとあれがあってと説明したくなる

 

自分の地元に友達が遊びに来てくれた様な感覚

 

 

いつからかここが帰って来る場所になっているし、フィジーは自分の住む国になっている。

 

 

 

協力隊の良いところは当事者意識が生まれるところかも知れない。

 

日本に居たら海外の問題なんて頭の片隅にも置かれないだろうけど、自分の住んでる国となったら話は別だ。

 

自分の国の問題は放って置けないし、自分の教え子の事だから文句も言う。

 

当事者意識が芽生えてるから。この国に住んでいるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/Bi7yMOXhkhaeImnKUhkzHEV7wNg8nyCyF3dFuM0/

カメラマンの遊びに付き合ってたら被写体にして頂きました。With the Southern Cross#fijilife🌴🌺

 

「見て、いつもの場所に星がある!」

 

少し前に夜空を見上げた時に同期が言った一言。

 

何の星座だったのか憶えていないが、スバの空には珍しくそこにハッキリと見えるものがあった。

 

“いつもの場所”が何処なのかも僕には分からないが

 

日本からは見えない空がそこにはあって、それが僕のアナザースカイになっている。

 

今ではフィジー“いつもの場所”になっている。

 

 

 

 

 

 

あと半年で何が出来るだろうか。

 

寂しさと楽しみな気持ちが入り混じった2019年のスタートです。

 

 

 

 

 

http://world-diary.jica.go.jp/oshimakento/7.php

JICAの世界日記にわざわざメッセージを下さった方。

侍ジャパンのコラムを読んで連絡をくれた方。有難うございました。

http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20181207_1.html

 

 

遂にこちらのブログにもファンだと言う方が現れました(笑)

正確には友人の旦那さんが読んでくれていると言う話らしい。

 

 

何処かの誰かに向けていると言うよりかは備忘録程度に残しているこちらのブログさえも、楽しみにしてくれている方がいると言うのは励みになります(正直照れ臭さが勝ってます)

 

いつかもっと大人になって読み返した時に馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうのか、恥ずかしくて顔から火が出るのか楽しみです。

 

 

 

 

キリスト教の聖書の中にこんな一文がある。

 

Somebody every time looking at you , then reword to you.

 

善い行いもそうじゃない行いも全部誰か(神様)が見ていて、それは自分に帰って来るんだと。

:一部省略

U12の大会は無くなってしまったけどここに居る皆んなは練習に来続けた。

だから今回コーチ(元プロ野球選手)が来てくれたのかもね。

 

 

 

12月の終わりに元プロ野球選手が来てくれて野球教室を開いた際に子ども達にこんな話をしたのを、この記事を書きながら思い出しました。

 

 

「あの話がそのまま自分に帰って来たわ」とそんな心境です。

 

 

とは言えあまり意識せずにマイペースにやって行こうと思います。

 

相変わらずの駄文ですが最後まで読んでいただき有り難うございました。

 

 

2019年も変わらぬお付き合いの程どうか宜しく御願い致します。

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!

 

どんなときも

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「師走」という事でこちらフィジーで珍しくバタバタと忙しい日々を過ごしています。

12月に入り日本の“手袋をつけたりマフラーを巻いたり”と言った冬の装いが懐かしいです。(フィジーはめちゃ暑い時期)

 

 

2018年も残すとこ3週間となりました。

 

最近は活動(野球)の方が忙しい(という体)のでブログを長らくお休みしていました。

 

とは言え何もしていなかった訳ではなく他からの寄稿依頼などを受けて記事は書いていました。

頼まれたら断れないタイプなんでしょうか。

http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20181207_1.html

www.japan-baseball.jp

🔼侍ジャパンの公式HPで記事を書かせて頂くことになりました。

前任の隊員の記事も残していただいたので比較しながら変化や成長などをお伝えしていけたら幸いです。

http://world-diary.jica.go.jp/oshimakento/6.php

world-diary.jica.go.jp

 

🔼JICAの世界日記では活動(野球)以外のことも書いているのでそちらも是非。

 

そのほかにも共同通信社様の方からも依頼を頂きフィジーについて記事を書かせて頂きます。(そのうち日本の新聞に掲載されるはずです)

 

 

こんな感じで野球以外の部分でのデスクワークの時間が増え、お陰様で買い換えたMacも少しずつ使いこなせるようになってきました。(5年前までダブルクリックが出来なかったのに)

 

もちろん活動の方も忙しくやっております。

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11月途中からスクールブレイク(夏休み)に入り子ども達がわんさか来るようになりました(普段からきて欲しい)

 

来月のオセアニア選手権に向けてU12ナショナルチームの練習も毎日行っています。

youtu.be

⬆️️️22分頃より ナショナルチームの活動について喋ってます。

 

 

当たり前のように書きましたがナショナルチームが国際大会に出られるのは決して簡単な道のりではなくって、選手選抜やら道具の確保やら資金の工面やら書類の作成やらと色んな道のりをクリアしてやっと出場できるのです。

人口90万とは言え一国の代表チームの遠征を実質二人しかいない野球協会で管理運営するのが大変なのは想像に易い。

私はナショナルコーチとしてグラウンドで、同僚はマネジメント業務に奔走。

ビザやらパスポートやらの書類関係の多くは同僚に丸投げで今年も自分はグラウンド担当。

 

彼がいてくれるからグラウンドの子ども達に集中できる。ありがたい。

 

 

とは言え自分にもできることがあるはず。

と思い、地道にやってきたスポンサー探し。

 

在フィジー日系企業から良いお返事がいくつか返って来ております。

先月までに3社の経営者、担当者様から協賛のお申し込みを頂きました。

 

私自身に社会人経験が無いためにメールのマナーなども分からず失礼な文面もあったかと思われますが、丁寧にお返事をくださる企業の皆様には頭が上がりません。

 

日本の有名企業や世界的企業にもメールを送りましたがあっさり断られるばかりでしたが中にはアドバイスを下さる方もいらっしゃいました。

 

“企業理念と異なる部分がある”ということで協賛自体はお断りをされたのですが、その上で御教授頂いたお話がとても考えさせられるものだったのでご紹介させて頂きます。

 

 

私達が出来る事は動きが困難になった車輪に油を少し注ぐだけの事です。

後は、彼らが本来持っている力でその車輪を回していく事。

どんなデコボコ道も自らの力で前進していける(経済)力を身に付ける事が大切だと思っています。

(途中省略)

それぞれフィジーの未来に向けて様々な形で援助活動を継続していく事は大変ですし大切な事に変わりありません。

互いの場で共に頑張っていきましょう。

 

 

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我々ボランティアはあくまでもバックアップであってメインに立つ存在では無い。

 

そんな基本的な事を改めて思い出させて頂き自分を省みるきっかけになりました。

 

 

 

 

 

 

正直自分の活動任期を考えて(残り半年)焦っていたのかもしれない

 

配属先や活動対象者のことよりも自分の事を考えている部分も無かったとは言い切れない

 

活動で目に見える何かを残したっかたのも事実

 

そういう意味ではスポンサーを獲得できたのは自分としても(配属先としても)良かったのかも知れないが

 

必ずしもそれがた正しい選択だったかは解らない

 

 

でもまぁいいんじゃないかな

 

いつも正しい選択をできる訳じゃないし

何が正しいかなんて解らない

 

解らないけどやってみる

解らないからこそやってみる

 

と思わせてくれました。

 

同期がふいに聞かせてくれた歌に感謝

マッキーは偉大

 

 

 

 

 

どんなときも  どんなときも

迷い探し続ける日々が

答えになること
僕は知ってるから

 

 

 


ロペピクニック「どんなときも。song by 松岡茉優」ミュージックビデオ

 

 

 

ボランティアという身分ではできる事が限られるけどできる限りのことはやりたい

 

 

 

 

企画や事業が走り出す事を自転車に例える人がいる

 

いつだって最初の一漕ぎが一番重いし、止まった状態から動き出すのはしんどい

 

 

 

最初だけ背中を押す

 

ちょっとだけ引っ張る

 

 

 

走り出すまでしか手伝えないけど

 

それくらいはやらせてもらうぜ

 

NO SWING

NO HIT!!!!!

 

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