出来なくて当たり前 出来たら男前

青年海外協力隊fiji野球隊員備忘録.小言戯言独り言。

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This is me

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日本に一時帰国した際に機内でグレイテストショーマンを観てからというものミュージカル調の洋楽を聴き漁ってます。

 

ヒュージャックマンの筋肉isアコガレ

 

from now onやnever enoughも凄く好きなのですが1番はもちろん

 

This is me

 

洋楽を聴いてアメリカナイズされ尽くした自分には、このちょっと言い過ぎくらいの歌詞が刺さる‼︎

 

This is who I’m meant to be, this is me.

これが私のあるべき姿。これが私よ。

 

I make no apologies, this is me.

謝ったりしないわ。これが私だもの。

 


The Greatest Showman | "This Is Me" with Keala Settle | 20th Century FOX

 

今週から市内の中学校で体育の授業(野球)をやらせて頂くことに。

学校に挨拶に行った際にお茶会(ティーという休憩時間)でオーストラリア出身のおじいちゃん先生と話す機会があった。

 

大嶋「体育の授業で野球を…自己紹介…」

 

先生「わしゃソフトボールをやってたじょ」

 

大嶋「ぜひ一緒に!」

 

先生「野球はフィジーで流行ってるのかい?」

 

大嶋「流行らせに来ました(笑)」

 

先生「裏の小学校の子どもは時々野球やってるよ?」

 

大嶋「え?体育の授業とかで?」

 

先生「知らんけど。ほら先週も(写真)」

 

大嶋「これ僕ですわ‼︎」

 

大きめのThis is meが出てしまった(笑)

 

 

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Expect

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平成最後の夏休みがいよいよ終ろうとしています。

 

大人になると宿題とかいう不毛な存在が無いから良かった。
そもそも夏休みなんてないんですけど。

 

スクール休みは我々スポーツ隊員の活動が一番忙しくなる時期。
午前中から日差しに曝されて丸焼き状態。選手も暑い中よくやってました。
子どもの頃からこの時期はまっくろくろすけでした。

 

そんなわけで本日は こちらFijiの冬休み最後のビッグイベントについて…

 


2ヶ月に一度野球協会の教え子と日本人の皆さんとで行っている交流試合Japan-cup。

今月は、BULA-JAPAN(日本―Fiji直行便)の再就航を記念して大使館との共催イベントになりました。

Fiji-Japan Friendly Baseball Challenge

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我々の教え子達は普段から日本人(大嶋)と関わっているし、2か月ごとに交流戦で日本人と顔を合わすし、多くの野球道具も日本からのドネーションで頂いたものということもありJapanとの繋がりが比較的強いです。

 

中でも前回の投稿の世界少年野球大会に参加した選手は「実際に日本に行ったことがある」という経験から挨拶程度の日本語を話したり、私のマネをしてお辞儀をしたり人の名前に「○○さん」を付けたりします。

実際に何人かは私のことを「ケントさん」と呼んでいます。


試合後のクリーンアップ(ゴミ拾い)中にイベントに参加してくれた隊員が「ケントはどう?」て選手に聞いたそうな。

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みんな口を揃えて「He is strict !」って嬉しそうに話してたとか。

 

「やっぱり」という印象でしょうか。
日本に大会で行った時に出迎えてくれた日本人スタッフと比べたら そら厳しいわな!

そりゃ出来ることならずっと笑顔で居たいですし優しく接したいですけど選手として期待している分、求めるものがある以上は厳しくなってしまうのかも。

彼らにとっては人生初の日本人。厳しい印象くらいで良いのかもな。

 


そして今週Fiji国内にある日本のNGOに行って来ました。

OISCA|公益財団法人オイスカ


少し前にマングローブの植林体験をさせて頂いた際に出来たコネクション

 

no-swing-no-hit.hatenablog.com

 

“日本から支援者のツアーが来る”ということで交流試合(ソフトボール)をすると聞いて飛んでいきました。

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自分の教え子以外に野球やソフトボールをやっているという話は国内では殆どないことだったので、今後の活動が広がることを視野に入れて視察に行きました。

町の大通りからマイクロバスに揺られること3時間。
村の小さな小学校で50人弱の全校生徒に迎えられてのセブセブ(カヴァを飲む入村の儀式)


野球協会としてはバット4本、グラブ3個、キャッチャー防具、硬式ソフトボール3つを贈呈させて頂きました。

 

高学年20人程度と日本の支援者の試合をドローンを飛ばしたり守備位置の指示を出したりしながら2時間ほど眺めていた。

 

村の子どもたちも身体能力は高く、みんな楽しそうにソフトボールをやっていた。

村への滞在もあっという間に終わり帰路に。

技術指導的なことは殆どせずにただ子どもと遊んでいたので彼らからしたら“ただ遊んでくれた優しい人”って感じなんだろうな。

 

町に戻って同期のお喋り番長の家で朝5時まで語らった際にこんなことを言われました。

みんな活動とかで上手くいかなくて気分が落ちるのは相手に期待しているから」
(俺は5代目だから配属先の受け入れ態勢がみんなより整っているのもあって、大きな変化を期待していないから落ち込むことも無いよ)

腑に落ちる話だった。


どうりで今日の野球は楽だったわけだ。


他意はなく、初めて会って2時間一緒に過ごすだけの関係に期待は持たない。

もちろん今後の活動に繋がる貴重な経験をさせてもらったのは事実だ。
当然ちゃ当然だが、普段の教え子達との関係を考えたらかなり薄い対応だったかもしれない。
少なくとも「He is strict !」とは思われていないはず。

 

ある程度の距離を置いた関係だから何をやっていても何をやっていなくても気にならない。

楽なわけだ。

 

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自分の責任下にある子どもには厳しくするけど、責任下にない子どもの子ども(孫)に甘くなる祖父母のようなものだろうか。

 

どっちが良いのかはわからない。

1年経っても迷うことは多い。

相手を変えられるとも思ってないけど、このままで良いとも思ってない。

 

他人と過去は変えられない。

変えられるのは未来と自分だけ。

 


期待したって裏切られることの方が多いけど、それでも期待し続けていきたいとも思う。

 

同僚にも、教え子にも、自分にも

 

 

NO SWING
NO HIT!!!!!!!

 

ただいま

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Bula vinaka

一昨日フィジーのニュースで活動の一部が紹介されました。
テレビ出演は4回目(チラッと映り込むのも含めて)なのですが
相変わらず緊張しまくってかカメラに寄りすぎています。
土曜日に大嶋の活動の中でもかなり大きなイベントがあり、そのことについて取材を受けました。

 24分くらいから映ってます。

youtu.be

 

 

一昨日の甲子園決勝。歴史的瞬間を実はFiji で観ていました。


赤道付近の国でもリアルタイムで日本の番組(たぶん甲子園だけ)を見ることが出来る時代です。
我々隊員の家にはテレビなんてないのでPCで電波を引っ張ってなんやかんやして見てました。

いいなぁ甲子園。満員の100回大会。ついこの間までそこにいたなー。

ってことで2週間ほど一時帰国していました。」というお話を今回は急いでまとめます。

 

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WCBF主催の第28回世界少年野球大会 松江大会 に教え子が参加してきました。

一般財団法人 世界少年野球推進財団:概要 -About WCBF-

https://ja-jp.facebook.com/wcbf.jp

この大会は“世界の王”(王貞治さん。ソフトバンクホークス取締役会長)のゴニョニョ

2017 WCBF Yokohama - YouTube ☜は昨年のものなので大嶋の教え子は映っていませんが、日本の団体がこんなことしてます。という意味でも見ていただけたら幸いです。

 

野球の発展途上国から選手を集めて9日間で技術指導をしたり文化体験をしてもらい交流する夢のようなツアー。
子どもたちと引率の大人1名は渡航費、宿泊費、食費その他全部タダで日本に行けて子どもたち野球道具一式とユニフォームとG-Shock支給されて至れり尽くせりの感謝カンゲキ雨嵐

 

というのは選手側の事情。

 

こちらはとういうと。
招待を受けてからパスポートやらトランジット先のVISAの申請やらなんやかんやがあってバタバタして大変でした。


同僚がいなかったので子どもたち連れて大使館にいったり各家庭を回って戸籍謄本を集めたり…(☜忙しいので割愛)

野球の指導以外の仕事が増えた時期は英語で埋め尽くされた書類を見る度に「日本に行くんだから日本語にしてくれよ!」と心の中で叫んでいました。


最後の2週間は野球をせずにメケ(伝統舞踊)の練習をしていました。


出発の前日に選手の家族が自宅にやってきてカヴァパーティーを始めた時はどうなるかと思いましたが、この日本遠征を通して選手とはもちろん選手の家族とも距離が近づいた気がします(良くも悪くも)

 

 


選手は島根県松江市で9日間野球をしたり観光をしたり異文化に触れてハッピー万歳の時間を過ごしていたはずです。


私は自費での帰国遠征になったので少ししか一緒にいることは出来ませんでしたが
それでも一緒にグラウンドに入れていただいて取材をすることが出来たので、その時に目にして耳にしたことを綴ります。

 

 

  • 行きの飛行機(メルボルン~成田)10時間座っているのに耐えられずはしゃいで怒られる。
  • 飛行機の座席の下に枕をひいて寝る→バレて怒られる。
  • 初めての大浴場に興奮して服を着たまま飛び込んで注意される(引率のコーチ)
  • 箸が使えるようになって自慢するも他の国の選手も当たり前のように使っていた(アジアの選手かな?)
  • お寺に行って座禅を組むも足が痺れて崩れたところを棒で叩かれる。


野球をしにいったのにグラウンド外のことが多すぎて笑いました。

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私が島根入りした時には既にFiji の選手たちはいろんな意味で有名になっていてました。

一つひとつの行動がとにかく遅いとか、宿舎内でも大声で歌ってるとか
日本に来ても臆することなくいつも通りの自分たちで居られる彼らは流石です。

練習の際に、 いいプレーをした選手にハイタッチをしに行ったら躓いた勢いで相手の頭を引っ叩いてしまう。というシーンを実際に目の当りにした時は腹を抱えて笑いました。

本来であれば注意して謝らせるべきでしょうし、こんな話ばかりを聞くと「申し訳ありません」と頭を下げるべきなのでしょうが
私も1年Fiji にいると染まってきてしまうもので「面白い」が先に来てしまって注意どころではなくなってしまいます。

 

どこの国だって10歳くらいきっと皆やんちゃ坊主だろうし、細かいことを気にしないのが彼らのいいところでもあります。


相手の選手に「ごめんね」と言いながらも「うちの選手はおもろいわやっぱ」とどこか誇らしい自分が居ました(笑)

 

それでも野球をやらせたら身体能力は高いので自分より体格のいい選手のボールも外野の奥まで飛ばすし、他の国の選手は誰も出来ないのにFiji の選手だけヘッドスライディングをするし

彼らが目立った活躍をするたびに「僕の教え子なんです!!!!!!」と自慢したくなるのを必死で抑えていました。

 

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フィジーに戻って選手の父親と話した時に


「日本から帰ってから息子が見違えるように変わったよ。
 朝起きて顔を洗ったら外に飛び出して遊びまわるようなやつが、今では母親の手伝いをするようになったんだ。日本はなんてすばらしい国なんだありがとう。」

と感謝されました。

別に自分が何かしたわけじゃないし、むしろ俺の言うこともあんまり聞かないわんぱく小僧だけど

何かを経験して自分の中で何かが変わったんだとしたら、日本に連れていって良かったのかな。
(オレが連れていったわけじゃないけど日本に行く選手を選んだのは事実)

 

今回日本に行った選手が将来Fijiの代表選手になって日本で再会出来たらな…そんな日が来ること祈っています。


仕事以外でも日本を十二分に満喫しました。

結婚式の3次会で吐くまで飲む。迷惑かけてすみません。ゲ〇をかけた人が居たらもっとすみません。
西東京大会の決勝で感動する。
温泉プールで卓球に勤しむ。餃子食べ放題。カラオケでプリキュア
倉敷に行って水害のボランティアをしようと試みるも準備不足で何もできずにヒッチハイクで帰る。
スーパー銭湯で飲むヨーグルトを大人買い
甲子園で盛り上がってるアルプス席に再入場。
待ち合わせの新宿でドタキャン食らう。
後輩を呼びすぎて財布が空になる。
ドローンを公園で飛ばして怒られる。
一眼レフのレンズを落として御釈迦にする。
24歳になる。日フィ合計で誕生日を6回も祝ってもらいました(笑)

https://www.instagram.com/p/Bmx2CGtDYGY8GpjE8aUhcon7qvhvOk9dLezIpk0/

今更ですが7/28〜8/13で一時帰国しました。仕事もあったり人にも会ったりで自宅のベッドで寝たのは3回だけ。「もっと写真を撮れば良かった」という後悔から一眼レフデビューを果たしたもののフィジーの空港で早速レンズを壊しましたアーメン。誕生日も6回祝ってもらってハピネス。平成最後の大嶋に会って下さった皆様ありがとうこざい真下

日本を満喫しすぎてお腹いっぱいで最後の方は早くフィジーに戻りたいとも思っていました。

仕事を残して行き過ぎたので不安だったのが本音ではありますが(笑)

ここFijiは私のアナザースカイになりつつあります。

 

ただいまフィジー

またね日本

 

平成最後の大嶋に会ってくれた皆さんありがとうございました。
会えなかった皆さんは新しい年号の時に。

NO SWING
NO HIT!!!!!!!

いっしょに

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JICAの方で中間報告会があり久々に同期が顔を合わせました。
バタバタして自分の内容は上手く伝えられたかわからないけど同期の活動を知れていい刺激を貰いました。

 

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先日、人生初のフルマラソンに挑戦してきました。
 
以前ハーフマラソンに挑戦して捻挫してからというもの 走るのが怖くて怖くて
 
 

 

no-swing-no-hit.hatenablog.com

 

 

 と言いながら日々の活動で走り回って休日にはバスケだのテニスだのフットサルだの
休み時間の小学生ばりに動いていたら捻挫したことすら忘れ、つい先月は8キロランにも参加していました。
というわけであれ以来の長距離走というわけではないのですが
距離が距離だけにやはり怖い。
 
ラソン - Wikipedia
 
42.195㎞⁉ なんでそんな半端な距離なの?
という疑問と同じくらい誰しもが思うこと
キツそう…
 
シンプルにキツそう
「そんな長い距離誰が走んねん」とずっと思ってたけど
世界中で同期隊員が走ってる走ってる
 
何が彼らを駆り立てるのか(笑)
そんなわけで大嶋も漏れなく挑戦してきました。
 
 

フルマラソンに挑戦するにあたって決めていたことがありました。
 
それは 我慢しないこと
 
ハーフの時は「スポーツ隊員なのに歩くなんてカッコ悪い」という謎の強がりから、痛みに耐えられなくなるまで走り続けたせいでケガが大きくなったし

結局歩いてしまったことへの罪悪感で自己肯定感はガタ落ちだし
と、心身ともにダメージを負ったので
 
今回は我慢せず「疲れたら歩けばいい」と決めていました。

歩いてもいい。また走りたくなった時に走ればいい。我慢はしない。
スタート時にバタバタしてトイレを我慢する結果になりましたが
 
そしてもう一つ。
「皆にパワーを」というスローガンを掲げていました。(こっそり)
 
というのも今回のマラソンに挑戦したJOCVはけっこういて
JICAの関係者も大使館の方々もそうでない邦人も
 
運動が得意なわけではないのに挑戦していたり
バスで6時間もかけて来ていたり
登録してないけど一緒に走りたいとか言う人もいたり
体調悪いのに離島から飛行機で来ていたりと様々
 
その点自分は首都赴任なので地元開催のイベントに早起きして参加しているだけ
主都在住の最年少スポーツ隊員として一番いい条件で臨める状態でした。
 
だったら、ただ走るんだけじゃなくて何かしたいということで
駒ヶ根訓練所でもやっていたハイタッチをしようと決意!
実際は人が多くてハイタッチも数回しか出来ませんでした。
 
スバマラソンは片道5キロちょっとの海岸を4往復するというルートなので「何度もできる!」と安易に考え決行!

最初からかっ飛ばして日本人とすれ違う度に「がんばれ!」とか「あとちょっとで給水所!」とか「楽しんでいきましょ!」とか
何かしら声をかけようとしていました。
 
給水所でもボランティアの人とハイタッチをしたり
カメラを向けられてはお道化てみたり

周りの人も楽しければ良いな」と思いながら自分が一番楽しんでました。
 
 
始めは余裕があるから何でもできるけど
 
苦しい時こそ「皆にパワーを」
"これが俺の役割”くらいに思って
実際、色んな人に声をかけてたおかげで同じくらい声を返してもらえてパワーを貰ってた。
 
 
それでも溜まる疲労と乳酸
歩いて走って走って歩いて
 
なんとか30キロ地点を過ぎて最後の1往復というところでふくらはぎが攣って歩くのもやっと状態に
 
 

そんな時にすれ違った同居人
 
 
もう結構まえから歩いているのは知っていたけど足取りが重い
 
自分より8個も年上の同居人は重たい足をどうにか前にだしているという感じだった。
 
 
あの状態で残り10キロ以上あるけど大丈夫か?と心配になった
 
 
やっと声が届く距離になって彼は言った
 
「間に合わないかも」
 
我々が参加したスバマラソンには制限時間があった。
5時半にスタートし12時にはゴールが片づけられると言う。
 
彼はそのことを言っていたのだ
 
残り時間は2時間半ほどで13~4キロ
普段なら普通に歩いても余裕な距離だが、すでに4時間半動かし続けた足は限界のように見えた。
 
(このままのペースじゃ間に合わないかも)
そう判断した上でまだリタイアを考えていないことが凄いと思った。
 
自分だったら諦めてしまうのではないだろうか
「間に合わないかも(しれないけど歩いてもう1往復行くわ)」
そう顔に書いてあった
 
もうゴールが見えている自分よりもいい表情だった。

「大丈夫!間に合うよ!がんばれ!」根拠はないが口がそう動いていた。
 
 

同居人はハイタッチしながら「がんばろう」と言ってくれた。
 

「ああ。この人は一緒に走ってるんだ」 そう思った。
 
 
 
色んな人に「がんばれ」と声をかけていた自分は
みんなそれぞれに目指すものがあって走ってる。
個人の、己との闘い。 そう思ってた。
 
でもこの人は違う。
 
こんなに辛い状況でも。こんなに離れていても。一緒に走ってるんだ。
「一緒にがんばろう」って言ってくれるんだ
 

あの「がんばろう」は刺さった
きっと忘れない。
いつか忘れるその日まで(笑)
忘れるのが嫌だからこうして書いて残しているんですけどね
 

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その後運営側も片づけを待ってくれてなんとか皆ゴールすることが出来ました。

同居人がゴールした時のあの感じ。
あの雰囲気。
 
頑張るっていう言葉が適切なのか判りませんが
頑張ってる人って素敵ですよね。

一本しかないバナナを半分くれる優しさとか
最後まで諦めない姿勢とか
体調悪いのに力強いハイタッチ返してくれたりとか
 
 
個人の闘いと言いながら色んな人にいっぱいパワーを貰いました。
 
「皆にパワーを」あげるつもりが「皆からパワーを」もらってました(笑)
 
ちょっとずつ返していかねば。
今度何かの時にお返しします🐖
 

今回のマラソンで現地人のお友達も出来たので、そのエピソードは別の場所で。
 
http://world-diary.jica.go.jp/oshimakento/person/post.php
 
この度JICAボランティアの世界日記というウェブページに寄稿することが決まりました。
自分以外にも多くのボランティアが世界の隅々で体験したことなどを綴っています。
もっとフィジーを身近に感じてもらえるようにちょっとずつあげていきますので宜しくお願い致します。
 
次こそ活動(野球)の記事を書きたい。
 
NO SWING
NO HIT!!!!!!
 
只今、活動と休暇を兼ねて一時帰国をしております。
日本人の多さ、飛び交う情報の多さに酔っております。
8月14日まで国内にいますので会ってくださいませ。

 

 

 

”知っている”のと”解っている”は違う

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ずっと返していなかった相手に送るLINEとか
筋トレをサボってた後のダンベルを持ち上げる時とか
そろそろ掃除しないとホコリだらけになってそうな押し入れとか

何でもそうですが、間が空くと腰が重たくなるものですね。
「書こう書こう」と思いながら暫く書かずにいたせいで
「いつもどんな書き出しだったっけ?」と自分のブログを自分で読んでしまいました。
前回の記事から50日ほど経ってしまいました。

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2日目に入った古着屋で一発目のギャグ。Fijiの挨拶ブラ。

 

Fijiに来て380日ほど経ちました。
そろそろJICAの隊員として中間報告があるので、1年を振り返ってはパワポに書き込んで写真を掘り起こしては懐かしんで思い出して反省したりしていました。

 

https://www.instagram.com/p/BlDEqKbjP8jugLRkncGFEcW-QocRBlTQBVY4fU0/

フィジーも2年目。あと1年。Do what you can.Do what you want.Choose the road which hard one for you enjoy.Looking for my worth at Fiji.

 

1年もいると「何月は何をやったとか、あの時はどこへ行った」みたいな判りやすい思い出が書き出せるくらいできます。

 

先日少し家を空けることがあり3日ぶりに自宅に戻った際に

「帰ってきたー。自宅サイコー。」みたいな感覚に襲われました。


離島のホテルや隊員の家にお邪魔してたとは言え、信頼できる日本人と一緒にいた時よりも誰もいないへんてこ住居の方が落ち着くというのはなんでしょう。


住めば都 ってやつでしょうか。そうです都です。
自分で「自宅」と書いてることに驚きです。


天井はボコボコだし
アリは大名行列ばりに出るし
水漏れはずっと直らない
へんてこ物件でも1年も住めば“自宅”です。

 

ウクレレにギターに縄跳び
サッカーボール、バレーボール、バスケットボール
テニスラケット二つに卓球のラケットが4つ
大量のグローブとバットが3本
空気の抜けたバランスボールと20キロのダンベ
断水時対策の貯蔵水1.5L×50本
無駄に増えた調味料と時々減っていく食器
色褪せたカレンダーとカーテンの無い窓
日焼けした様な壁と破られた地図

地図を破りに時々帰ってくる猫

 

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控え目に言っても都。いやMIYAKO。

 

ミヤコちゃんとの想い出を振り返るように報告会用に資料を作るために1年間の手前の活動などなどを省みていたわけですが

 

圧倒的反省と後悔の連続

 

やろうと思っていたけどなんやかんやで出来なかったこと の類が多すぎる


なんでもかんでも安易に「やろう」と思いすぎる


「やろう」思うくせに実行する前にアレコレ考え過ぎる


結果ビビってやらない(やれない)
いつの間にか忘れる

 

 

考える前に身体が動くタイプの人が羨ましいとまでも思う。

 

 

 

 


隊員仲間の住む離島(第二の島)に行った時
非常に怖い思いをした。

 

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フィジー国内のお祭りでよく見かけるアトラクション


アトラクションと言えば聞こえはいいが事情は猛スピードで回る小型観覧車

南米に派遣されている同期の隊員のFBでも見たことがあるから途上国では流行っているのかもしれないが、日本だったら企画の段階で却下されるやつ

 

乗らなくても分かるレベルでヤバい。
素人でもわかるレベルのヤバさがYABAI。


ヤヴァイ。

 

 

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停まったのが幸か不幸かてっぺんだったので

3人掛けのシート(鉄製の網を組み合わせたもの)が
およそ観覧車とは思えないスピードで4~5分回り続ける


身体を支えているのは腰の位置に添えられた細いバーのみ


自転車のハンドルよりも細いバーを全力で握りしめて
あと何分後かわからない“その瞬間を”待ち続ける地獄

 

 

ちゃんとした高所恐怖症の私は


オーストラリアのケーブルカーをふざけた野郎(友人)に揺らされた時は人目を憚らずにブチギレたことがある

 

大学の卒業記念にフォレストアドベンチャー(地上8mの高さでのアスレチック)に連れていかれた時は気の上でベソ掻きながら「縁を切ってもいいから下りさせてくれ」と懇願したことも在る。(結局最後のコースまで制覇したけど)

 


Forest Adventure OFFICIAL GUIDE MOVIE

本気でコワい。声が出ないレベルでコワい。

 

ただアトラクションは周り始めてしまえば最後。停まるまでは下りられない。
座席が傾いた瞬間に安全バーから安全じゃない音がした。
でももうリタイア権はない。
ドロップアウトしたら文字通りドロップするしアウトな最後を迎えることになる。

 

 

そんなわけで地獄の5分を体験してきました。
下で待ってくれていた隊員仲間には「意外と大丈夫だった」と言いました。

 

 

 

 

 

翌日はリゾート地方に移動。
人生初のシュノーケリング

 

「ダイビング(体験)2回やってるし余裕でしょ」と自信満々でウェットスーツを纏いボートに乗船

しっかりした船で沖まで3分ほど

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想像に難くないとは思いますがエンジンのついたボートが3分も進んだらどうなるか

 

結構な海に着きます。
波で船がガンガン揺れるくらいの海です。

シュノーケリングて 足の着くような浅いとこで

「キレイな石あったー」とか「サカナ見えたー」とかパシャパシャするやつだとオモッテタヨ

 

ヤヴァイ(2回目)

 

海水が口に入るとかのレベルじゃなくて
波にのまれるみたいなやつ

キレイな海への興味よりも恐怖が勝ってしまう

 

海 is kowai

 

顔もつけずに必死に立ち泳ぎをしてると
一緒になったブロンド女性(オーストラリア)に呼ばれる「ケントもこっち来なよ」
「オーケー、オーケー、ベリグー」

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結果:海めちゃんこ綺麗でした

さかなクンも見れたし

最後はボートに置いて行かれるくらいシュノーケル出来るようになりました。

 

ダイビング大好き隊員曰くダイビングよりシュノーケリングの方が危険だとか。
コワ。

人間ってライフジャケット無しでも浮けるんですね。


どちらの体験もめっちゃ怖い思いをしたけどいい経験だった。

今思うと楽しかったような気もする。

終わってしまえば何とでもいえる(笑)

 

 

 

 

自分が如何に臆病なのかがよくわかった。

 

ただ体験してみて思うのは
外で見ているのと実際に体験しているのでは見える景色は全然違うということ。

 

外で見てる方が怖い
実際は案外イケルみたいなやつ

体験しないとワカンナイ

 

色々考えてうだうだ言う前にやってみる。
ってのも時にはいいのかもしれない。

 

「Knowing and Understanding are different」


帰っちゃった先輩の言葉。まさにこれ。

 

いつか先生になった時に、知識ではなくて経験を語れる人間になりたい
だから協力隊に挑戦した。

 


コワいコワい。
けど、やってみたら大丈夫。

今回だけじゃなく今までに何度もこんな体験をしてきたからきっと次も大丈夫

 


やろうと思ってやらないこともあるけど少しずつ挑戦はしているので
これからも安易に「やろう」と思って行きます。

カメラ、ギター、料理 やろう!

残り1年もヤヴァイくらいの挑戦をしていきたいです。

次回は活動のことを書きます。

 

NO SWING
NO HIT!!!!!

 

”計画的偶発性”

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今週で5月も終わり、いよいよ6月に入ります。
2018年も折り返し。この約半年…色々あったな

 

ニュージーランドに行って野球して
砂丘に行ったり温泉?に行ったり
母親が遊びに来たら猫が居なくなって
同僚が居なくなってオフィスのカギ失くして
ラソンで捻挫して同居人が居なくなって…

 

今年に入って色んなことを始めました。
ギター、テニス、フットサル、バレーボール、料理、ウェイトトレーニング

基本的に誘われたら断らない超挑戦的主義の同居人のおかげもあって色んなことに飛び込んでいます。


良く言えば多趣味、悪く言えば優柔不断な自分ですがお陰さまで楽しんでいます。

 

そんなこんなで同居人も今日帰ってきます。
同僚もあと2ヶ月で…
ついでに猫も返ってこないかな…

残り13か月もきっとめちゃくちゃ楽しいんだろうな。

 

 

先日JICAの専門家によるワークショップで“計画的偶発性”という言葉を耳にしました。

「偶然(のチャンス)を計画的に起こす」というもの。

行ってることがめちゃくちゃじゃないか?

 

もともとお互いの対極に位置するはずの“計画的”と“偶然”

 

慣れ親しんだ表現で「犬も歩けば棒に当たる」とう諺がこれに当てはまるらしい。
これをポジティブに捉えているのが今回の“計画的偶発性”
とにかく行動すれば思わぬ幸運と出会う(かもしれない)という話。

 

その翌日に後輩隊員が活動先に来てくれました。
彼女は2時間ほど教え子と一緒に野球をしただけでしたが「また来たい」と言ってくれました。
今まで国内外から6人の隊員の方が職場に遊びに来てくれましたが、野球をよくわからないのに泥にまみれて一緒に試合までやったのは初めてのことでした。
あの時間でなにを得られたかは本人にしか解りませんが積極的なかかわりを見て「こーゆー姿勢がチャンスを生むんだろうな」と思いました。

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まず「行動する」こと。
また同時に、「偶然の出会いや出来事」を生かす基本スタンスとして、「オープンマインド」という言葉があります。
オープンマインドを直訳すれば、「開かれた心」。意訳すれば「優柔不断」です。

「私にはこれしかない」「これ以外はやりたくない」という硬直的・閉鎖的な考え方ではなく、何事も前向きに受け止めるということです。
自分の方向性を焦って決めなくていい。無理に目標を持たなくていい。
いい意味で優柔不断な態度を取る。「本当は何をやりたいのか」といった重要な決断をあえて遅らせ、いろいろことに首を突っ込み、自分が持っている無限の可能性を信じ、あれこれやってみる。

 


先週マングローブの植林に誘って頂いて人生初植林体験をしました。
植えた場所が以前に教え子たちとゴミ拾いをした思い入れのあるビーチだったので喜んで参加してきました。
サンゴ礁マングローブ林によって海に脅威から守られている島国Fiji。
とても貴重な体験をさせて頂きました。

https://www.instagram.com/p/BjTcwWzh9bplPG5rKrHcGI1IjA19VF38qWMJbg0/

We were planting mangrove at Lami's beach.I was so happy bcorz Before I cleaned up there with my students .And I tried first time in my life .I wana to be tough and supple as who standing at beach.We remember that when we pass the road.I hope you will be strong and biiiiiiiiiiiig!


そこで植林活動をメインで行っていたOISCAというNGOの方とのコネクションを作ることが出来ました。
OISCAのなんやかんやで「ある村で子どもたちにソフトボールを教えている」という情報を聞いて、自分の任地の外で活動に関わるチャンスを得ました。

これは自分の活動に繋がるめちゃくちゃ大きな一歩です。
さっそく来てます“計画的偶発性”

残り1年ちょっとで掴んだチャンスを活かせるか、どれだけ多くのチャンスを掴めるか。

優柔不断で良いじゃないか。全部楽しそうなんだもの。

ということでこれからも色んな所に飛び込んでいきます。
皆さんも遊びに来てください。

NO SWING
NO HIT!!!!!

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見るからに身体に悪そうな色。命を削ってる感じが楽しいのかな。

 

自分の為に

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Bula ブログを始めて半年たちました。活動も残り1年ちょっと。Time is fly.

 

母の日ということで日本ではカーネーションがバカ売れしているでしょうか?

こちらフィジーでも本日がHappy Mothers Dayで町中がピンクに染まっています。

 

以前知り合ったウクレレ教室の先生と再会する機会があったので母親の好きな曲を歌っていただきました。

 

Happy Mother's Day He sang for my mother.Thank U so much.I really appreciate you.With very kind regards.


彼は25歳の学生でありながら音楽を教えたりイベントでパフォーマンスをして将来はアーティスト(ミュージシャン)として生きていこうと考えている人です。

www.facebook.com

 

 

僕らはお金の為に演奏するんじゃない。好きだからやってるんだ。楽しいから演奏するしパフォーマンスを見て笑顔になってくれる人がいるからやってるんだ。音楽の素晴らしさを、楽しさをみんなに届けたい。

 

それでも続けていくためにはお金は必要だけど…と彼は言いました。

 

だからこそ僕は君たちを尊敬しているんだ。君たちはお金のためじゃない何かの為に働いている。人のため国のため会社のため。
僕が音楽の楽しさを伝えるようにケントも野球の魅力を伝えようと来ている。
僕は小さい頃から音楽に囲まれて育ったから人より少し上手なだけ。そこに対した違いはない。あるとしたら“音楽が好きな気持ち”とそれをみんなに伝えたいという気持ちだけ。
ケントもそうだろ?

 

深夜2時まで先輩隊員の家で続いた合唱大会。
思わぬところで自分の活動を顧みる機会を与えられました。

 

 

いちばん大事にしたいと決めていた“楽しい”という感情から離れている。

 

 

同僚が居なくなって活動の100%が自分の下にある状況で

「オレがやらなきゃダメ」
「オレしかいない」
「オレのせいで」

オレオレ人間になっていました。

 

子どもたちの“楽しい”を引き出すために、自分が“楽しく”活動したいと思っていたのに

誰の“楽しい”も生み出せないものになっていました。

 

 

調整員と事務所で話したい時に「ちゃんと休みとってる?」と聞かれて

「休めないですよ。俺が休んだらあいつらが野球出来なくなっちゃうから」というかっこつけたセリフがスムーズに出てました。

 

その後、調整員に言われた一言が衝撃的でした。

 

「同僚がいないんだから自由に休みが取れるんじゃん。」

 

私の職場は他の隊員とは配属先の状況が大きく異なり、休もうと思えばいくらでも休める職場です。

それを勝手に休んではいけないものだと思い込んで「必死に働くことが美徳」という日本人の陥りがちな働き者思考にどっぷり浸かっていました。

というかこの時も「じゃあ俺は何のために働いてるんですか?」と噛みつきそうになるところだった。

 

調整員の考えはこう。

本来ボランティアという存在が無いと考えた時、同僚が国外出張にいくということは国内の活動が停まるということ。
それがたまたま今ボランティアという人手があるから、なんとかなっているだけであってこの形はベストではない。
でも現地の人はそれに気づいていない。ボランティアという存在が当たり前になっているから。
本来バックアップであるボランティアが前面に出て活動をしている時点で間違っている。

 


理屈としては理解できる。でも腑に落ちないというか納得できないというか…

 

配属先のことを思うなら問題を気づかせるという意味では必要なことなのかも知れないけど、だからと言って現場の子どもたちを放置して自分は休みます。とはなれない。


なんでなれないのか。

 

それは自分が“自分の為に”活動をしているから。

 

誰かのための、相手のための。そんなものをボランティアという言葉から連想する。

しかし実際来て見て思うことは、みんな自分の経験値やキャリアの為のステップアップを目的の一つとしていることが多い。

 

自分だってそうだ。
活動を休みたくないのも「俺が休んだら子どもたちがうんたらかんたら…」なんて言っているけどホントのところは「俺があいつらと野球したいから」っていう理由なんじゃないかと思う。

 


昨日、事務所の外カギの南京錠が変えられていてオフィスに入れないという事件に遇いました。

 

集合時間まで20分。野球道具はオフィスの中。

先日オフィスのカギを失くして作り直してもらったこと思い出して「また100ドルかかるのはやだな」なんて思ったり。
でも道具がないと野球はできないし…
子どもたちはグラウンドで待ってるだろうし…


そーいえば最近は俺がグラウンドに行くより前に集まって遊んでるよな。
集合時間より前に来るなんて奇跡みたいなこの国で…
あいつら変わったな…

 

彼らの信頼を裏切りたくないし、純粋に子どもたちに会いたいという思いでグラウンドに行ってみると案の定10人くらい子どもたちがすでに来ていて

 

「早くノックしようぜ」とか「道具は?」とか「髪の毛切った?」とか可愛いやつらめ。

 

「今日はドアが開かなくて野球道具がないだゴメン」って言ったら

「またカギ失くしたの⁉」とか「またドア壊せばいいじゃん」とか「じゃあ今日はラグビーしようぜ」とか

 

そんなわけで底抜けに明るい彼らは一言も文句言わずに遊びだします。

裸足で3時間ラグビーをした土曜日。こーゆー日があってもいいのかな。
みんなと俺が楽しいなら。

 

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人はみんな自分の為に生きているし

 

自分の為に行動している

 

“誰かの為”の行動でさえも「誰かの為に行動したい」という自分の為

 

自分の自由で「休まない」という選択をしてきたし
これからは自由に「休む」という選択もスル

 

ギターだって弾くしラグビーもスル


自分勝手になってもいい

どうせ一人なんだし好きにやったらいい


オレの
オレによる
オレの為の
活動

NO SWING
NO HIT!!!!!!

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読売新聞に載りました!

 

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