出来なくて当たり前 出来たら男前

青年海外協力隊fiji野球隊員備忘録.小言戯言独り言。

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初めて同僚が休んだ

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日本が連日の大雪や寒波で騒いでいるところ、フィジーは日に日に暑さと湿気を帯びた生ぬるい時間を増し 遂に7か月目にして扇風機を購入しましたフィジー野球隊員大嶋です。

東京に雪が降るたびに写真を添えて報告してくる母親のLINEが鬱陶しい今日この頃です(笑)

 

 

 

先週は報告書に追われて更新できませんでした。という言い訳を小さめに書いておきます。

 

 

 

 

さて、タイトルの話ですが

 

私の同僚CP(カウンターパート)はフィジアンの中で物凄く働き者です。

どれぐらい凄いかと言うと、もうそれは一般的なフィジアンのそれとは比べ物にならないぐらい凄さが凄く凄いです。

 

9時~5時で働きます。土曜も働きます。時には6時半過ぎてもオフィスでパソコンに向かっています。

どんだけ働くの?ホントにフィジアンなの?っていうフィジアンです。

 

 

唯一の同僚がそんな人なので私もオフィスにいる時間が長いです。

先週初めて土曜にお休みをいただいてお出かけをしたのですが “自分以上に働く同僚” に「休み貰っていい?」と聞くのは心苦しかったです。

https://www.instagram.com/p/BexYII3H31hOgQqIPAU_vUTppq0Puj5BjEmo6I0/

初めての土曜休みを貰ってSigatokaへ。猫イヌ馬ヒトと友達になった2日でした。フィジーの温泉は温かった。#Fiji#Shigatoka#Hotspring

なぜかって、私が配属されてからというもの6か月で同僚が休んだことは一度もなかったからです(子どもが風邪をひいて面倒を見てる系は2度ほどあったが)

 

それぐらい休まないんです。シックリーブとか回数制限されるくらい皆が「どうにかして休もう」としている国でこんなにも働く人がいるなんて。

 

親日家で友達も多く待ちを歩くといろんな人とハグして握手してハイタッチしてます。

リレーションシップの鬼です。

 

先日帰国されたSVと仲良しで最終報告会にも一緒に参加して日本語の発表も一生懸命聞いていました。

日本語が殆どわからないのに一生懸命聞きすぎて疲れて眠ってしまうくらい一生懸命な人です大好きです。

 

JICAオフィスの中でも有名な働き者。

某VCは彼のことを「一番好きなフィジアンの中の一人」と言っていました。

基準は良く分からないけど一番は凄いことです。

 

 

 

 

 

 

その彼が月曜日に仕事を休みました。

 

 

9時出勤の職場で9時に連絡がきました。

「今日は休みにしよう」

彼が職場のカギを持っているので大嶋も自動的にお休みに。

 

翌日聞いてみることに

 

 

 

「母親が亡くなった」と

 

言葉が出なかった。

 

「とても悲しい」と言う彼の表情はいつもより少し強張っていたが、優しい彼の顔でした。

 

 

男の子にとって母親というのは特別で絶対的な存在。
口うるさくて喧しい。何度突っぱねても見守ってくれてる。

どんなに酷い言葉をぶつけても何度期待を裏切ってもいつも信じて待っててくれる。
大嫌いで大好きな存在。

 

 

母親を亡くすということが、心にどれだけ大きな穴を空けるかは推し量るに易い。

 

それでも彼は「残念だ」という言葉を最後にそれについては触れなかった。


何事もなかったようにいつもの野球の会話に入る。

 

 

 

フィジアンは感情を隠すことがある。

 


JICAの現地職員(フィジアン)が話してくれた。
悲しい時、寂しい時、辛い時、時には嬉しい感情だって隠すことがあるという。

日本の「我慢」の文化に似ているものだろうか。

 

 

「死ぬということは、現世の苦しみから解放されるということ。悲しいことばかりでは無い。」という考えあるのだとか。

 

だからお葬式も派手なのか。

一度出た葬式はカヴァを飲みながら楽器を演奏して歌を歌っていた。
Facebookでも誰かのお墓の前で笑顔で写真を撮ってあげてる。

 

悲しむことだけが弔いではない。
笑顔でいることで故人を安心させる。

そんな考えもあるんだと勉強になった出来事だった。

 

 

 

 

 

 

昨日、日本で7年間お世話になったバイト先の社長が亡くなられた。

 

私は社長の名前を知らない。毎朝挨拶していたのに。7年もいたのに。

 

社長は社長ではなかった。

引退して息子さんに社長の席を譲っていた。実質会長。

 

でも皆「社長」と呼んでいた。

自分もバイト仲間も後輩も。

社長は「社長」と呼ばれるのが好きなようだった。

 

 

女将さん(娘さん)は「おいジジイ」と呼んでいた。

孫たち(女将さんの息子)も「ジジイ」と呼んでいた。

 

7年間で社長に唯一怒られたのが “エビの尻尾を残した”時だった。

寿司の出前を取ってくれた社長と楽しくしゃべりながら過ごす昼休み。

 

「M浦くん、エビは尻尾まで食べなきゃだめだよ」

 

これが唯一怒られた記憶。

頑固な社長のこだわりも嫌いじゃなかった。

 

「あんた、今日来てるのはM浦くんじゃなくてO嶋くんでしょ」

社長の奥さんは初めてお会いした時から目が見えないのだが声だけで認識してくれる。

 

社長はいつも自分とM浦とを間違えていた。もはやネタになっていた(笑)

 

緊張感の中に程よい笑いを入れてくれる社長がわりと好きだった。

 

 

 

 

 

12月から近くに住み着いた猫(勝手に家族だと思っている)が姿を見せなくなった。

 

毎日ご飯を用意して、寝床もトイレ(屋外)も作って一緒に散歩したりしてた猫がいなくなった。

 

お腹がすいたら構ってくれるまで鳴くという強気のスタイルだった女の子が消えてしまった。

 

外にいた子だしどこに行こうと勝手だけどさ…あんなに一緒に遊んだのに

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなそうだけど

 

いなくなる時は勝手にいなくなる

サヨナラなんて言う人にはまた会えるけど

本当の別れは何も言わずに突然に

 

 

 

 

 

フィジーに来て「言いたいこと、聞きたいこといっぱいあるんだけど何て言ったらいいのかわからない」という理由でコミュニケーションを取ることを躊躇うことが増えた。

 

明日調べて聞こうとか、あとでゆっくり話そうとか

それじゃいけない。

 

 


精一杯伝えなければ。言いたいことを言えるうちに。

 

 

 
社長には「大嶋です」って結局言えなかったし
猫には何を言っても仕方ないし

 

 

 

 

 

 


秋にスマホデビューした母親ですが最近LINEを駆使しだして「未読無視しないで」とか「せめて既読つけて」とか言ってきます。

 

どこで覚えたのか「おかーさんクリぼっちだから電話しよ」の文面を見たときは驚き過ぎて思わず無視しました。


あんなに自分の価値観を大事にしていたのに…息子は悲しいです。

 

 

「いつまでも元気でいてくれ」と思いながらそっとスタンプで誤魔化す大嶋でした。

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

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