出来なくて当たり前 出来たら男前

青年海外協力隊fiji野球隊員備忘録.小言戯言独り言。

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協力隊っぽい体験をした

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日本では人肌恋しい冬がやってきているであろう今日この頃

 

12月だしもう雪とか振ってるのかな?

 

フィジーは夏しかないし冬も雪も恋しいです。あと人肌も。

 

 

先月からschool horyday(夏休み)とサマータイムのダブルパンチで忙しさが増す野球隊員大嶋です。

とはいえ野球ができることはこの上ない幸せ大嶋からするとサマータイム万歳。夏休み万歳です。

 

 

先週から唯一の同僚が海外出張に行ってしまい、またまた一人で活動してます。

 

 

 

  • サマータイム
  • 家族の時間
  • 先輩隊員訪問
  • 日曜にしてはいけないこと
  • Knowing and understanding are diffrent

 

 

 

 

 

国際大会を来月に控え、選手たちのモチベーションも上がっている……のだろうか

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サマータイムにより日照時間が延びたわけだし

 

夏休みで家に居てもブーブー言われるだろうし

 

来月には7年ぶりの国際大会だし

 

相変わらず雨が多いから晴れた時にいっぱい練習したいと思い

 

 

いつもより練習時間を長く設定してみる     も目論見は失敗

 

いつもどうりの時間に帰ろうとする彼ら

 

 

サマータイムってそもそも何のためにあんの?

 

 

 

「時計の針を1時間進めることで朝が早くなり、父親が退勤後まだ日が落ちる前に息子たちとキャッチボールをするため」

ではないかという無茶苦茶な仮説を立てた。

 

 

day light savingっていうんだよ。明るい時間に生活して電気を節約するためにあるんだ。」と子どもが教えてくれた。

 

納得…書いて字のごとくというか。節電ってことね。

 

 

実際には年末にかけて定時より早めに仕事を終える(強制的に店じまいする)人も多く、家族の時間が増えるというのもあながち間違いではなさそうだ。

 

フィジアンは家族の時間を大事にするし、家族そろってのご飯が何よりもの幸せだという。

 

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そんな大事な時間を「よっしゃー!いっぱい練習するぞー。まだ明るいからあと一時間!」と半ば強引に奪っていたことになる。

 

申し訳ないので練習時間は変えずにテンションだけサマーモードでやってます(笑)

 

同僚にも息子や奥さんがいてるし子どもたちにも待っている家族がいる。

 

あれ?俺だけ一人じゃね?

 

 

 

 

 

日曜 Navusoに住む先輩隊員のとこへ同居人と遊びに行きました。

 

田んぼと畑と林を抜けてちょっとした山の斜面みたいなとこに住んでました。

 

The協力隊みたいなとこ。

 

道路はもちろん整備されていないのに

 

裸足で歩くもんだから砂利が刺さるか泥だらけになるかの二択

 

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丘を越えてニワトリの卵を取りにいったり豚にエサをあげにいったりレモンを貰いに行ったり

 

足が汚れるのがすごく嫌いな自分も流石に諦めるほどの体験でした。

 

 

 

 

 

我々をホストとして迎えてくれた先輩隊員は現地のフィジアンと完全に家族化してました。

 

「こいつは俺の息子だよ。ワッハッハー」と親父さんは言い

 

家族同然のように振る舞い扱われる姿を見て少し羨ましかったです。

 

イジりイジられ、殴り殴られゼロ距離の関係を築いていました。

吸い途中のタバコまで共有する彼らは今日から田舎に一緒に帰ってクリスマスもみんなで過ごすのだとか。

 

素敵な関係だな~

 

 

 

「日曜日は安息日だから働いちゃいけない」

 

日曜に洗濯するだけでも怒られるというこの村

 

音楽に合わせて体を揺らすだけで「ダンスもダメ」と(笑)

 

日曜はとにかくゆっくり家族との時間を楽しむ。

 

これがここの人たちの幸せなんだと教わりました。

 

日曜にバスが走らないのも店がしまっているのも野球の練習をしちゃいけないのも

 

全部家族との時間のためでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「メンティー(ケント)はクリスマスどうするの?暇だったら遊びに来てもいいからね」

 

という不意打ちを食らい

 

またまた「あれ?俺だけ一人じゃね?」となりました(笑)

 

 

帰り際に少し泣いてしまったのはヤンゴナ(カヴァ)を6時間飲んだせいです。

クリスマスの話は関係ありません。全然関係ありません。

 

 

 

 

 

フィジーで「ケント」という名前をいうとかなりの確率で「メントス⁉」と返ってくる

 

メントスとかメンティーとか素敵な名前と素敵な思い出を貰いました。

 

 

 

 

 

自分から見ると過酷な状況でも、彼らは大変な思いをしてるとは感じていないし

 

彼らが首都に出てきたらそれはそれで大変なのかもしれない

 

 

 

村に入ってすぐ「ここじゃ野球できねーな」と言った自分が恥ずかしく思えます(笑)

 

 

環境が違えば苦労や悩み、幸せ感じ方だってこんなにも違うのかと

 

どっちが良いとか悪いではないのだなと

 

そんなことを感じた次第です。

 

 

少しだけ協力隊っぽい体験をした週末でした。

 

 

 

首都に住む自分は地方の状況を話で聞くぐらいで「大変だなー」と他人事に思っていたけど、実際に先輩が生活しているのを目の当りにして、考えさせられるものはあったし「来てよかった」と思いました。

 

 

 

 

異文化理解はきっと一歩通行じゃなくて

 

「現地の人が暖かく迎えてくれた」っていうこっち側の想い出と

 

メントスって日本人が来て一緒にカヴァ飲んだな」っていう向こう側の想い出もあるはずで

 

そう思うとどんなことにも挑戦する意味はあるのかな。

 

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最後に先輩が下さったお言葉を…
 
 
Knowing and understanding are diffrent

 


 
まさに “知ってる”のと“理解している”のでは全然違う  ってやつでした
 
体験したからこそ体感したものが言葉にできるし誰かに伝えられるし自分の経験になる。


ぶーぶー言いながらも裸足で泥沼を歩いた意味はきっとある。

 

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

何のために?

来年の1月に控えたオセアニアチャンピオンシップへ向けて、ナショナルチームの練習が続いている。


先週からスクールホリデーに入った首都スバは多くの若者でにぎわっている中、繁華街ではなくグラウンドに足を運ぶ彼ら。

 

最近では集合時間通りか少し早めに来ている選手もいる。大きな変化である。

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  • 何のため?
  • お金のため?

 

 

 

技術云々も非常に大事だが人間的な成長こそ大事だと考えたい。
野球をやって野球だけ上手くなっても、野球の技術が日常生活で役に立つことは殆どない。

 

ってなわけで野球を通して人間教育ができたらなと偉そうに思っているわけですが、その辺の話はまたそのうち…

 

 

私は現在ありがたいことに野球を生業にさせていただいているが、ここフィジーにおいて野球で生活しているのは私と同僚の二人だけだ。

 

 

「野球では飯が食えない」というのが専らの見解だ。

 

フィジーにおいて野球は超マイナースポーツ。仕事にできるわけがない。

もちろん野球のプロリーグも “未だ” ない。(だから普及員として派遣されている)

 

日本で生まれ育ち、4歳から野球をやっている自分にとって当たり前のようにあった「プロ野球」がない。

 

    

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野球少年にとってそれは夢であり憧れであり目標。

 

勿論それだけが全てではないが大半の野球少年が目指しているものだろう。

私もその昔「プロ野球選手になる」ことが夢だった。

私の夢、目標は「プロ野球選手になること」であって それ以上でも以下でもなかった。

 

「なぜ?」と問われたことはないのでわからないが今になって推測するに「野球が好きだから、野球を仕事にしたい」と考えていたのではないだろうか。

 

実際のところは「カッコいいから」だったかもしれないし、当時の私はクラスの誰よりも早く野球を始めていたし誰よりも走るのが速かったし誰よりも野球が好きだった(最後のは自称)故に野球をしていることが自分のアイデンティティのようなところもあったかもしれない。

 

 

つまり何か明確な目的をもって野球をやっていたわけではない

「お兄ちゃんが始めたから僕もやる」そんな理由で入った野球チームで幼稚園の頃から「週末には野球をやることが当たり前」になっていた。

 

これまでもこれからも「当たり前のように」野球をやるもんだと思っていた。

プロ野球選手になって、いつまでも野球を続けていくのだと。

 


プロ野球選手ではないが23歳のいまでも野球に携わっているし野球を仕事にしたい」という夢はある意味で叶ったことになる。

 


彼らは何を目標に野球をやっているのだろう。

彼らの夢は何だろう。

 

 

Why do you play baseball?
What do you play baseball for?
What is your goal?
What is your purpose?

 

 

こんなことばかりを尋ねる毎日。

考えてほしいから。

 

親に無理やらされているわけでも、誰かに頼まれたわけでもなく、自分たちの意思でグラウンドに来る。

何のために野球をするのか。

考えてほしい。

 

 

どんな答えでもいい。考えたうえで「(未だ)わからない」も答えだと思う。
でも考えてないのは良くない。


「エクササイズ」とか「健康のため」でもいい

なんだったら「暇つぶし」でもいい

「好きだから」とか「楽しいから」だったら最高だし

「グラウンドが居場所」っていう子も居るかもしれない。

 

 

 

 

 


ある選手にこんなことを聞かれた。


オセアニアの大会で買ったらお金もらえる?」

 

現段階では優勝チームへの賞金などの話は出ていない。

 

「世界大会へのチャンスが貰えるよ」

「世界大会で買ったらお金もらえる?」

 

この問いに対する正しい回答は判らなかった。

 

プロ野球選手になれるチャンスが貰える(かもしれない)よ」

 

決してウソではない。世界大会ともなれば各国からメディアやスカウトが来る。彼らの活躍が目に留まれば…というのは可能性の範囲ではありうる話だ。

 

プロ野球選手になったらお金がもらえる?」

「貰えるね」

 

ラグビー選手の何倍も貰えると言ったら目を輝かせていた。

 

家を建てて車もパソコンもケータイも2台づつ買う。
グローブは3つスパイクは6個買うんだ。
ケントと同じサングラスも欲しい。

 

 

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 彼女をいっぱい作る。っての以外は応援すると言った。
ついでに無職だったら雇ってくれるという約束もした。
 
彼は「プロ野球選手になってお金持ちになりたい」と言った。
 
目標は“お金持ち”になることで“プロ野球選手”はあくまでも手段。
 
ただ「プロ野球選手になりたかった」小学生の頃の自分の夢よりも、明確なものを描いていた。

 

 

プロ野球選手になって活躍したいでも
プロ野球選手になってチームを優勝させたいでもなく
プロ野球選手になって美人アナウンサーと結婚したいわけでもない。
あの頃の大嶋少年は“ただ”プロ野球選手になりたいとしか思っていなかった。

 

その点その選手は“なんで”プロ野球選手になりたいのかが自分でわかっているだけ夢には近いと感じた。

 

自分でこそ「好きだから、楽しいから」野球指導者を選んだわけで
プロ選手の中にも「お金の為にやっているわけじゃない」という選手もいるだろうし、それは素敵な考えだと思う。


しかし、途上国にて「お金のため」にプロ選手になろうと考えるのは至極当然なことだし、それを否定することはできないと思った。

 

「お金のため」に何かをすることが恥ずかしいことだと思っていたことが恥ずかしい。


“何のために”やるかなんてみんな違うだろうし、ゴールが明確なほうが到達もしやすい。

そんな事を12歳の子どもから教えてもらった。

 

その日から「夢が逃げるぞー」とボールを追いかける少年に檄を飛ばしている。

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

 

本気かどうか

久々に郵便局に行った。

 

  • しつこさと粘り強さは紙一重
  • 想像しうる大抵の願望は本気で取り組めば叶う
  • 本気かどうか

 

今日は受け取りではなく発送の為に。

自分の体ほどある段ボールを抱えてタクシーから降りると郵便局のカウンターへ進む。

箱の大きさに周囲がざわつく。

 

「海外に送りたい」といってカウンターに乗せると大柄のスタッフが隠れるほどの大きさ。

 

「この箱は大きすぎて無理ね」と一蹴。

 

「違う箱に入れ替えろ」とか「うちじゃ扱えない」とか「他の業者を当たってくれ」とか

散々「we can not」と言われたが こっちとしても送ってもらわねば困る。

 

 

「中身は意外と軽い」とか「I have to send it」とか言って必死に食い下がった。

 

時間にして1時間半くらい英語でのやり取りを辞書を片手に続けた結果

「あんた名前は」と何とか受け入れてもらえた。

 


よくある話だが外人相手の厄介な案件は「ウチでは取り扱っていない」と言って断るケースが多いとか

調整員にそんな話を聞いていたので諦めずに戦った。

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トータル2時間半の格闘と中身の1.5倍の送料を払って郵便局を後にした。

しつこさ粘り強さは紙一重
粘り勝ちと言ったとこだろうか。


今回の件は郵便局側からすると迷惑な客だったのかもしれない。


しかし本当に無理かどうかくらいスタッフの態度を見ればだいたいわかる。
さらにこちら側の本気度も相手には伝わったんだと思う。

 

 

 

想像しうる大抵の願望は本気で取り組めば叶う。

 

 

先輩隊員が2ヶ月で5キロのダイエットに挑戦していると言っていた。
「成功したら1億円もらえる」と言われたら1週間で5キロ落とせるだろう。

 

散らかった私の部屋も「エマワトソンが遊びに来る」となったら20分でピカピカにする自信がある。

 

目標を達成したり夢をかなえたりするのに必要なのは才能じゃなくて本気度だと思う。

 

 

「○○したい」
「●●になりたい」
と言いながらも本気でそう思っていないから叶わないだけ。

 

水を飲むのだって、ドアを開けるのだって、階段を上るのだって

無意識のうちに「こうしよう」という指示が脳から出て体を動かしてる。

 

本気で「水を飲みたい」と思ったら、「まず水を探す」という指示が出て体を動かす。

これが本気じゃなかった場合「なんとなくのどが渇いたなぁ」と思って終わってしまう。

 

大きな違いは本気度の有無で、それが行動の有無に繋がる。

 

才能とか根性とかそんなんじゃない。

 

 

 

本当にやりたいと思うかどうか。

 

本気かどうか。

 

 

 

スイッチが入れば人は勝手にやりだすもの。
やる気スイッチよりも本気スイッチ

 

 

やる気のスイッチ! (Sanctuary books)

やる気のスイッチ! (Sanctuary books)

 

 

 

 

本気で続きが気になる」と思ったが為に昨晩2時まで“キングダム”をYoutubeで見ていた私のように、人はスイッチが入れば隠れてだって徹夜してだってやる。

 

 

 

子どもたちだって楽しくなると休憩中であろうとコーチの制止を振り切ってまでも練習を続けたがる時があるし

今日だって昼の練習後、私の乗ったタクシーを追っかけて「バッティングさせろ」とオフィスまでついてきた。(だったら集合時間に来なさい)

 

このスイッチを見つけられれば彼らはもっともっと成長するだろうなと思いながら日々スイッチを探しています。

 

 

隣の部屋にめっちゃ美味しそうなステーキが置いてあったら誰でも食べに行きたくなる。

「○○したい」と“本気”で思わせたらあとは勝手に努力するので結果は出る。

 

自分のスイッチのは見つけるより作ること。

目標より、目標を達成した後のご褒美(努力の副産物みたいなもの)を想像するとスイッチが入りやすい

 

 

それができたら何が嬉しいのか、何を得られるのかを考えるだけでワクワクしてくるのがスイッチ。

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☝(フィジーで)やることリスト11月23日現在

 

「洋楽を歌えるようになったら(多分)カッコいいから」という理由で最近洋楽ばかり聴いていましたが、そもそも「英語喋れるようになればいいじゃん!」ということに気づき英語を本気で喋れるようにしようと思います。

 

まずはいっぱい使うこと。何の用がなくても同僚に子どもにセキュリティに話しかけてます。

 

本気になれば何でもできる!

 

 

 

 

NO SWING
NO HIT!!!!!

ひっくり返す

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ある人が話してくれた漫画家の話。



日本アニメ界の伝説 手塚治虫
彼を“神”と慕う人も多い。
ジブリ映画の生みの親 宮崎駿もその一人。

 

宮崎駿監督作品集 [DVD]
 

 

手塚のマンガを読んで(10代のころ)漫画家を諦めたというエピソードも残っている。

虫プロ創始者であり数多くのアニメーションや漫画を生んだ手塚は間違いなく成功者と言えよう。


しかし、成功者が必ずしも正しいとは言えない

アニメにだって正解不正解はなくて、あるとしても国や時代によって変わっていく変動的なもの。

あるとき「手塚は(作中で)人を殺し過ぎる」と気づく。

“人の死”はドラマになりやすい。感動を呼ぶにはあまりにもたやすい。
命を軽んじているわけではないが、戦中を生き抜いた手塚と宮崎では時代が違う。

今の時代に“死”を描くのは必ずしも正解ではないのかもしれない。

「何かを正解と決めることは、それ以外を否定することになりかねない」

例えば…「暴力は絶対ダメだ」と主張することは“暴力を働いている人”に対する「否定」という名の暴力なのだ。と彼は続けた。

 

 

正解、常識と呼ばれているものを一度疑ってみる。
大前提を覆して考えてみる。

そんなきっかけをくれた話だった。

 

 

 

  • 大前提をひっくり返す
  • 実際にやってみて
  • フライボール革命

 

 

 


土曜日の練習。トレーニングシューズではなくサンダルで行ってみた。

普段、殆どの子どもが裸足かサンダルで野球をしている。
街に出てもバスに乗っても学校に行っても靴を履いている人は少ない。

アスファルトでも芝でも泥の上でも裸足の彼ら。

「裸足で野球なんて危ない」→「靴を履いた方がいい」という大前提をひっくり返してやってみることにした。

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芝生の合間から石や砂利がむき出しのグラウンドでは歩くのもゆっくりになる。
結果から言うと足裏が痛くて殆ど走れなかった。


裸足で全力疾走している彼らの足の皮は相当分厚いに違いない。

やってみて分かったことは彼らのタフネスさと裸足のほうが地面を指で掴む感覚や踏ん張りは効く。

サンダルを履くよりは裸足のほうがプレーしやすい。フィジアンは皮膚が厚いから多少の凹凸も平気なのかもしれない。

しかしグラウンドの端には割れた瓶が捨てられていたり細かい砂利で足を切ったりすることも在る。

パフォーマンス面でも安全面でもやはり「靴を履いた方がいい」という結論に至った。

それでもこの実験をやったことで彼らの痛みや強さがわかったし、グラウンド内の問題点も見えたものがあった。


「コーチもフィジアンスタイルに挑戦してる」という評価も得られた。

危ない(だろうから)推測でと決めつけていたものを、実体験から考察を経て答えを出せたことに意味があると思う。


実際にやってみて、なんで靴を履いた方がいいのか。の“なんで”の部分がより明確になった。

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野球界で長年“正解”とされてきたレベルスイング指導。
ホームラン狙いのアッパースイングは否定され続けてきた。

しかしメジャーの統計からみても多くの選手がアッパースイングで結果を出し始めている。

「フライボール革命」である。

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しかしそれも「外人はパワーがあるから」なんて屁理屈で片づけてきた日本人。

高校通算本塁打記録を塗り替えた清宮選手も二刀流で打撃も急成長の大谷選手もアッパースイングだ。

 

 

時代は変わってアッパースイングが当たり前になるのも考えられなくもない。

筋肉が未発達な子どもではバットのヘッドを支える負荷が増すため難しいことは事実だが長打が出やすい角度であることは間違いない。

 

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長打を狙ったフルスイング。チームバッティングのコンパクトスイング。

勝つことも体験させたいけど、長打の快感だって野球の魅力だ。

なるべく強制はせずに選択肢を与えてのびのびやってもらいたい。

 

 

「天才」と呼ばれて鳴り物入りで球界に入っていく選手たち。

これまで異端とされていたアッパースイングを否定されても結果を出し続けてきたからプロになりメジャーになったのかもしれない。

 

「プロだから出来る」とか「アマだからダメ」とか

 

そんなんをもう一度疑ってやってみる。

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

 

 

NO SWING NO HIT!!!!!

この世の人間は2つに分けられる・・・
スウィングする者とスウィングしない者だ。 

映画スイングガールズの劇中に何度も出てくる台詞です。

 

 

スウィングガールズ スタンダード・エディション [DVD]

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野球のシーンでも同じ台詞出てきます。

 

竹中直人すきだったな

 

 

  • 5年生のころ
  • なんで振れなかったのか
  • 振らないこと
  • 振ること
  • まず振ってみる

 

 

 

 

 

小学校5年生のころ。6年生が4人のチームですでにレギュラー入りしていた自分は上級生の試合にも出ていた。

 

対戦相手は殆どが上級生。

 

相手ピッチャーは市の選抜チームにも選ばれた剛腕投手。

 

球、めっちゃ早い。

公式戦の雰囲気。最終回7点差(リードされている)の壁。

ベンチからの応援という名のプレッシャー。

 

恐怖。

 

2球連続で見逃しあっという間の2ストライク。

ベンチの親父(当時監督)から怒号が飛ぶ。

 

振らなきゃ何も始まらない

 

何度も聞いた台詞。自分に対して言われたのは初めてだった。

 

恐怖でバットが振れないことなんて初めてのことだった。

 

怖い。振っても当たらないし、振らなきゃ怒られるし…

 

 

3球目インコース。飛び上がるようによけて盛大に転ぶ。

びっくりして涙が出る。

 

怖い。涙が出る。あの頃はすぐ泣いていた。

 

振らなきゃ何も始まらない

 

またかよ

 

この時の自分には‟諦めうる条件”充分に揃っていた。

 

上級生、剛腕、最終回7点差、それまでの打席の凡退

 

極めつけは恐怖。‟怖い”という感情が脳みその大半を支配していたと思う。

 

そりゃ身体は動かない。

 

なんで振れなかったのか。

 

最も大事な‟打ちたい”という気持ちがなかったから‟バットを振る”という行動を選択できなかった。

 

‟打ちたい”と思えば“打つために”どうすればいいのか、誰でもわかることだ。

「とりあえずバット振らなきゃ打てないっしょ」って話。

 

何かを諦めるときって意外とこうなりがち。

 

「苦手だから」とか「この前失敗したし」とか「調子悪いもん」とか

積極的に“出来ない理由”探しがち。

 

 振らないこと

 

振らなきゃ何も起こらない。

野球の場合は打席に立ってれば四死球の可能性もある。

それか見逃し三振しかない(一応振り逃げもある)

相手ピッチャー次第。

 

運命の舵を相手(他者)に委ねるということ。

自らの意思による行動を放棄することになる。

(「何もしない」という行動も時にはあるが)

 

振ること

 

振らなかった時の結果は以上の3パターンだが、バットを振った瞬間に結果の可能性は無限に広がる。

 

バットを振ればキャッチャーがボールを落とすかもしれない。

 

打撃妨害だって、振り逃げだってある。

 

ファールになればもう一度チャンスがある。

 

内野に転がせばイレギュラーだってエラーだっておこる。

 

誰もいないところに落ちればヒットだし

 

間違って芯を食えば長打だってありうる。

 

 

 

 

 

あの日の大嶋少年は‟打ちたい”という気持ちを忘れて嫌々バットを振った4球目。

打球はライトの頭上を越え結果的にはホームラン。

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試合には負けたけど何かが変わった日だった。

 

親父は何も言わなかったけど嬉しそうだった。

 

 

あの日の成功体験があるからフィジーに来てる。のかもしれない。

 

青年海外協力隊として派遣されて5か月が経とうとしている。

 

恐怖で涙を流すことはなくとも、迷うことや足が重くなることは多々ある。

 

そんな時に“とりあえず”の一歩目が出せるように。

 

まずは振ってみる

 

振って初めて振り方がわかる。

 

バットの重さも、スイングの軌道も

 

振ってみないことにはわからない。

 

打てるかどうかじゃなくて‟打ちたい”かどうか

 

振るかどうか。

 

この世の人間は2つに分けられる・・・
スウィングする者とスウィングしない者だ

 

スイングする者に

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

 

そんなわけでブログも始めてみようと思います。

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