出来なくて当たり前 出来たら男前

青年海外協力隊fiji野球隊員備忘録.小言戯言独り言。

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夢 与えちゃったかも

 

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Bula all.  コン二チハ ヤキュウタイインノオオシマデス

 

 

Yaahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhtto 帰ってきました同僚。

思わずハイタッチしちゃった。


色んなことがあったし、色んなことをやったし、色んなことができるようになった選手たち。
明日以降の練習で選手の変化を見せて驚かせたい。

 

 

  •  0.0011111%
  • 全然普及できてない
  • srow but sure
  • 夢の9ドル札
  • 夢与えちゃいました

 

 

 

先々週までの面談で集めたもの。
ナショナルチームの選手13人。一人ひとりの夢や目標をワードクラウドでまとめてみた。

 

 

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他と比べてProfessionalの文字がやや大きい。
次点でbaseball。そしてFijiとなった。

 

これが何を意味するのだろうか。
「Fijiでbaseballの代表選手に聞いているのだから当然の結果」と言われればそれまでの話かもしれない。

 

フィジーでいったい何人の人が「野球を知っている」のだろう。
フィジアンは「Do you know baseball?」と聞くと少し迷って「yes」と答える。
でもまともに知っている人に会ったことがない。
フィジアンは「no」と言うことをしないのだ

 


人口約90万人のフィジー共和国の中で私が野球を教えているのが約100人。
短期ボランティアの方や前任者の関わった選手たちは未知数だが
全選手の親兄弟を含めたとして仮に1000人が「野球を知っていた」としても       

0.0011111%

 

                   ⁉

 


よくわからない数字になってしまったが99%の人は未だ「野球を知らない」ことになる。

 

「全然普及できてないやん」と思うかもしれない。いや思うはず。

自分で計算してびっくりした。単純な割り算を3度も確かめたのは久しぶりだ。

 

1%にも満たないって……

 

でっでもZEROじゃない!

1000人の人は野球を知っているのだから。


JICAのボランティア事業が入っていなければ2017年現在でも普及率0%だったかもしれない。

 

ゼロからゼロ以上のものを生み出したと言っても過言ではない。 いや過言かもしれない。

 

 

そう思うと我々のやっていることは壮大なことに思えてくる。

全く知らない国から外人がやってきて謎の運動を広める。

それだけでは飽き足らず礼儀作法や挨拶や行動速度までにも口を出してくる。

ちょっとした宗教だ。野球教。

 

 

そしてこの布教活動に参加している熱心な信者たちは「野球教のプロになりたい」のだという。


国全体で見れば限りなく0に近い割合だけれど、ゼロではない。数人の子どもたちの“将来の夢”の選択肢に「野球選手」が入ってきたのだ。

 

野球は、彼らの親だってやったことのないスポーツだろうし、学校で言おうもんなら「お前ら野球なんてやってんのダッセー」と言われるかもしれない。

 

むしろ「ダサい」と言うやつはまだ良い。野球の認知度が低いことを知っているということは、少なからず野球というスポーツの存在を知っていることになる。

 

「野球?何それ?」ってのが99%の国で、彼らは堂々と“野球”を夢に掲げたのだ。

99%の人間が知りもしない超マイナーなものに取り組んだことはないが、周りに理解されにくいことはわかる。

 

minority がどうとか言うレベルの話ではない。

 

 

 

 

 

 

 

2000年に野球協会が発足して17年。

2000年に生まれた子は女子高生になっている。

 

17年経ってもまだ人口の1%にも到達していない普及率。現実。

 

でも確実に増えている。

srow but sure

ゆっくり だが 確実に

 

フィジーに今までなかった選択肢を選ぶ若者が出てきている。
ZEROから1になろうとしている。
この小さな一歩はどんな一歩よりも大きな前進になる。 

 

 

ナショナルメンバーの中にも「野球歴2年未満の選手」が3人もいる。

「去年まで野球なんて知らなかったよ」と嬉しそうに言う彼らは「ラグビーより野球のほうが楽しいと言う。

 

 

 

ナショナルメンバーの13人中11人が「プロ野球選手になりたい」と言い、残りの二人は「プロ野球リーグを創りたい」と言った。

 


私の夢がまさに「フィジーに(プロ)野球リーグを創る」こと。同じ夢なら一人より二人のほうが叶えられそう。

 

五輪とかWBCとかにフィジー代表が出て世界一になった日には自分の銅像を建ててもらおうと思っている。


日本の友人には「世界一になって銅像になってくるわ」と言って別れてきた。
夢はでっかいほうがいい。Think big!

 


話は変わるが2016年リオ五輪でフィジーは初めての金メダルを獲得した。
それが7人制ラグビーだ。
同僚に当時のことを尋ねたら「物凄く感動した」と言ってyoutubeから映像を引っ張ってきてくれたので二人で観た。


Rio Replay: Men's Rugby Sevens Final Match


勝戦を20分にまとめた動画。半分過ぎたあたりで、勝利を確信したのかフィジーの選手がもう泣いてる。
「まだ半分残ってるじゃんね」と横を見ると同僚も泣いてた。
泣き虫かよ。同僚のそーゆーとこ好き🐖

 

 


普及率80~90%(大嶋調べ)のラグビーで国内史上初の金メダル。
首都スバの当時の盛り上がりも想像するに易い。

 

国旗のデザインが気に入らなくて変えようとしていた(らしい)当時の大統領だが首相だかも、金メダルに発狂しすぎて国旗そっちのけで7ドル札を作らせたそう。

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世にも珍しい7ドル札。計算苦手なくせに7ドル札。7人制ラグビーだから7ドル札。
あまりにも安易な発想過ぎて親近感沸く。友達になれそう(笑)


そんなわけで大嶋の二つ目の夢。9ドル札。ちゃっかり自分も入れてみました。
説明は不要かと(笑)

 

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話は戻って子どもたちの夢に…

一人の選手が「ナショナルコーチになりたい」と言った。
「なんで選手じゃなくてコーチなの?」と単純に思ってしまったが

 

ナショナルコーチというのは現在の私の肩書である。
私の存在がそのまま夢になったのだとしらこんなに嬉しいことはない。

息子が自分の店を継ぐと言った時の親父の気持ち。今ならわかりそう(笑)


「簡単な仕事じゃないぞ」と言うと「知ってる。俺なら出来るよ」と。頼もしい。


「ケントに出来るんだから俺にだって出来る」と思われているのなら、それは成功。

 

簡単なことを難しく見せるのは三流。
難しい事を難しく見せるのは二流。
難しい事を簡単にやって見せるのが一流。

簡単だと思われてるなら 俺、一流じゃん(笑)
子どもに“夢”与えちゃいました!(☜ポジティブに捉えすぎ)

 


「世の中は甘くないぞ」って忠告するのが大人の仕事かもしれないが、「お前にだって出来るよ。やってみようぜ!」って背中を押す大人がいてもいいんじゃないだろうか。


別に皆が野球をやらなくたっていいし、なんだったらスポーツなんてしなくたっていい。

 

ただ、目の前に見えている世界が全てじゃない。
世界はもっと広くて、自分の知らない面白いものがいっぱいある。

ってことに気付いてほしい。


これは大人だってそう。
自分自身もフィジーに来て世界が広がったし、知らなかったことばっか見たし、まだまだ知らないことの方が多いんだと思う。


野球だって全然上手くないけど、彼らは自分のように上手くなりたいと言ってくれるし、何かしらの影響を与えることが出来ていると思う。
それだけでここにいる意味はあるだろう。

 

完全なる異文化である“野球”が1%にも満たないフィジアンに受け入れられていること。
野球との出会いは彼らの人生を変えたことになる。
彼らとの出会いもまた、私の人生に大きな変化を齎しているのかもしれない。

 


将来この国にプロリーグが出来る日が待ち遠しいです。
9ドル札のデザインが採用されたら印税で暮らせるかな(笑)

 

NO SWING
NO HIT!!!!!!

最近 学級崩壊 してました

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同僚の出張が伸びて、もう1週間一人での活動となることになり発狂しそうですが、逆に“自分の好きなようにやれる”と思いはじめたやけくそ気味野球隊員大嶋です。

 


前回まで活動(野球)のことを書くのを避けていました。

現実逃避しまくっていました。先輩隊員のとこへ遊びに行ったり、最新映画を見たり、お菓子食べたり、J-popばっか聴いたりしてました。

 

no-swing-no-hit.hatenablog.com

 


なぜかというと、単純に上手くいっていなかったので書きたくなかったからです。

 

 

 

 

子ども相手の仕事だから仕方ない部分はあるものの…


集合時間に選手がグラウンドに来ることはなく30~60分待つことが殆どで、中には最後の片づけをしている時に来る選手も

遅刻してきてアップもせずにいきなり練習に飛び込んで「肩が痛い」だの「足が痛い」だのと、外傷以外のケガが多い

疲れると仮病(明らかなウソ)を使って休む

好きじゃない練習はやらない

水を飲みに行った30分後お菓子を食べながら帰ってくるなど

挙げたらキリがないほどのコンニャローのバーロー岬

顔色を伺いながらフィジー語で何かを話したり(多分グチ)

怒られるとわかっててワザと石を投げたり

 


極めつけは、自分のミスでエラーしたのに「グローブが悪い」と放り投げたり蹴飛ばしたり

さすがに大声で怒鳴りつけてしまった。


それからというもの毎日のように練習中に怒っていました。

 


選手が来ない。イライラ。
やっと来たけどすぐサボる。
アップしない。ケガする。
集中力散漫。ミスする。道具にあたる。→ 怒る。
の繰り返し。

雰囲気の悪い練習が続いていた。

 

 

ナショナルチーム発足から1ヶ月。同僚がグラウンドに来たのは3度。

それ以外は一人で見ているせいか「舐められちゃいけない」という内なるプレッシャーから、よく怒るコーチになっていた。

そのせいかチームの雰囲気は最悪。学級崩壊状態

 

2週間くらい「楽しくないなぁ」と思いながら活動していたし、子どもたちも楽しくなかったはず…

 

 

 

 

 

 

 


そして今。オセアニア大会まで1ヶ月。

チームの雰囲気良いです!

 

挨拶とか、グラウンドのごみ拾いとか、アップは勿論、あんなに嫌がっていた筋トレも素振りも全部 自分たちから進んでやっています。

 

以前は負けたチームが罰ゲームでやっていた片付けも自主的にやるようになりました。

昨日なんか集合時間より前に来てた子どもに「ケント遅いよ」とか言われる始末。


技術面も勿論めっちゃ成長してます。


水を与え過ぎたサボテンのようにぐんぐん伸びます。

 

元々の高いポテンシャルに正しい知識と技術が加われば無敵です。
まさに「鬼に金棒(金属バット)」です。

 

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なんだろうこの変化は?

「どうにかしよう」と思って色々やったけど、色々やりすぎて何が彼らを変えたのかわかりません。


ということでこの1ケ月で自分なりに効果があったのではないかと思われることをまとめてみました。

 

 

  • 欲求を満たす
  • 怒らない宣言
  • 面談
  • 目標設定
  • 飴と鞭

 

① 欲求を満たす
マズローの欲求5段階説※をもとに子どもの自己実現欲求(「もっと○○になりたい」ってやつ)を引き出すためにできることを考えた。

www.motivation-up.com

 

生理的欲求→トイレにいつでも行けるルール。すぐ水を飲めるルール。(ボトルを用意)
安全欲求 →ケガをした時の処置。絆創膏やテーピング対応。
社会的欲求→大嶋では無理
尊厳欲求 →②③に繋がる

 

自己実現欲求以外のものをできる限り埋めることで、自らの意思で「上手くなりたい」とか「勝ちたい」とか「もっと野球をしたい」と思ってもらえるようなアプローチ。

 

② 怒らない宣言
文字通り。「もう怒るのやめるわ。今までごめんな。」と言ってしまう。
子どもたちも驚いていたが最初の一日で理解した様子だった。

 

逆に褒めるるようにした。

 

「ベースに投げろよ」→「ここまで届いたの凄いじゃん。あとちょっとだな!」

 

「まずはボール捕らなきゃ」→「エラーしたけど、その後の送球よかったな!」

 

 


あとは「Don’t ~」という言い方をやめた。

 

「走るな」じゃなくて「歩こうぜ」っていうやつ。

日本語だと簡単だけど英語だと脳内変換に時間がかかるのが難点。

 

 

 

③ 面談
 一人ひとりを呼び出して秘密のお話をしました。(子どもはみんな秘密が好き)

「いつから野球ってるんだっけ」とか「どこのポジション守りたい?」とかから始まり“将来の夢”とか“今後の目標”とかまで聞いちゃう。

最初はふざけながらもいつの間にかまじめな話に誘導するやつ。←これ意外と得意(笑)

 


④ 目標設定
 ③で個人の目標を把握したら定期的にリマインドする。
チームの雰囲気や練習がダラけてきたら「みんなは何で野球やってるんだっけ?」とか「将来プロ野球選手になりたいのは誰と誰だっけ?」とか言って煽る。

 

あとは選手が勝手に頑張る(笑)


 

 

練習メニューにも一つひとつの目標を設定する。

 

ただキャッチボールをしてるだけだったのを、距離を変えたり制限時間を設けたりする。

ベースランニングも一人ひとりタイムを計る。

 

記録をとると子どもたちも競って取り組むので競争が生まれるし、定期的に計測することで成長を見て取れるしモチベーションに繋がる。

 

みんなで一つの目標に取り組むというのは団結力を生むし、衝突も生むけど、コミュニケーションも自然に増えるし結果的に効果があったと思う。

 

⑤ 飴と鞭
競争を増やすことで選手のモチベーションアップには成功したが、回数も増え慣れてくると興奮もしなくなる。

 

そこで強制的に奮起させるのが「勝者への飴」か「敗者への鞭」。
使い方があっているかどうかは不明だが、結果的にかなりの効果を発揮したのではないだろうか。

 

手っ取り早いのが後者。罰ゲーム。

最初は片づけとかダッシュにしてたけど、彼らは走るのが大好きなので罰ゲームにならない。

今ではスクワットや腕立てを黄色い声をあげながらやっています。

 

 

難しいのが飴。そもそも野球が出来ること自体が飴のようなものだった自分からすると、練習以外に飴を用意するなんて発想はありませんでした。

 

しかしここはフィジー。相手はこども。

ということで「少しでも練習が楽しくなるように」とで練習中に音楽をかけはじめました。

筋トレやダッシュ、素振りの時間に彼らのテンションが上がりすぎて踊りだしてしまった日も在りましたが今では調子がわかってきました。

 


そして以前から提案があったプールに行ってのトレーニング。
「どうせ遊びたいだけやん」と却下していたものを決行してみました。


子どもを連れてプールに行くのは遠足のようですが統率が取れないという恐れも抱きつつやけくそで行ってみました。
案の定ハイテンションの子どもたちは遊びまわっていましたが「今日はそういう日」と割り切って自分も遊んじゃいました。

 

結果。楽しかった

 

水深2m。飛び込んでくださいと言わんばかりのガラ空き具合とノーマークの監視員。

 

楽しくないわけがない。

 

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プール行く前にみんなで悲鳴を上げるほど筋トレをしたのに、プールで3時間騒ぐほどの体力を持っていることも分かったし、選手の新たな一面も見られて良い機会だった。

 

 

そして一番迷ったのがバットの貸し出し

フィジーには野球道具を売っている店はなく

ナショナルチーム選手ですら野球道具をもっていない。
野球協会の保有する道具を毎回タクシーに乗せていってるのが現状。

練習したくても道具がなければできない。

じゃあ貸すしかないじゃん。

 

迷っていたのはケレケレ文化による“借りパク”と紛失盗難によるバットを使った犯罪が起きることを危惧したから。

でも信じるしかない。

 

家に帰って振ってるかどうかはスイングや手のひらを見ればわかる、でもそうじゃなくて信じることにしてみた。

 

 

今じゃ「道具の手入れをしよう」とか「両手で捕るんだ」とかコーチのようなことをいう選手も出てきました。よきよき。

 

 

他にも“勝手にコーチに任命作戦”と“背中で語る”作戦もありましたが今回は割愛。

 


「今までやってなかったのか」と呆れるようなこともありますが、“15人もの思春期の少年を一人でみるので手いっぱい”と諦めていました。

 

今回の経験は「意外と一人でもできることあるじゃん」という自信に繋がりました。

 

 

“子どもは大人の写し鏡”

 

子どもがつまらなそうにやっているのは先生のせい

先生が笑顔ならクラス全体が笑顔になる

 

子どもを楽しませるためには、まずは自分が一番に楽しむ

 

そんなわけで大事なことを思い出して誰よりも野球を楽しんでいる大嶋と

 

最近笑顔が増えた子どもたち

 

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そしてこんないい流れを全て無に帰すような巨大な不安要素に気付きつつも見て見ぬふりをしています。その辺は次回にでも。

 

 

今は出来ることを信じてやるだけ。

今年も残り18日!

何回練習できるかな。

NO SWING
NO HIT!!!!!

協力隊っぽい体験をした

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日本では人肌恋しい冬がやってきているであろう今日この頃

 

12月だしもう雪とか振ってるのかな?

 

フィジーは夏しかないし冬も雪も恋しいです。あと人肌も。

 

 

先月からschool horyday(夏休み)とサマータイムのダブルパンチで忙しさが増す野球隊員大嶋です。

とはいえ野球ができることはこの上ない幸せ大嶋からするとサマータイム万歳。夏休み万歳です。

 

 

先週から唯一の同僚が海外出張に行ってしまい、またまた一人で活動してます。

 

 

 

  • サマータイム
  • 家族の時間
  • 先輩隊員訪問
  • 日曜にしてはいけないこと
  • Knowing and understanding are diffrent

 

 

 

 

 

国際大会を来月に控え、選手たちのモチベーションも上がっている……のだろうか

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サマータイムにより日照時間が延びたわけだし

 

夏休みで家に居てもブーブー言われるだろうし

 

来月には7年ぶりの国際大会だし

 

相変わらず雨が多いから晴れた時にいっぱい練習したいと思い

 

 

いつもより練習時間を長く設定してみる     も目論見は失敗

 

いつもどうりの時間に帰ろうとする彼ら

 

 

サマータイムってそもそも何のためにあんの?

 

 

 

「時計の針を1時間進めることで朝が早くなり、父親が退勤後まだ日が落ちる前に息子たちとキャッチボールをするため」

ではないかという無茶苦茶な仮説を立てた。

 

 

day light savingっていうんだよ。明るい時間に生活して電気を節約するためにあるんだ。」と子どもが教えてくれた。

 

納得…書いて字のごとくというか。節電ってことね。

 

 

実際には年末にかけて定時より早めに仕事を終える(強制的に店じまいする)人も多く、家族の時間が増えるというのもあながち間違いではなさそうだ。

 

フィジアンは家族の時間を大事にするし、家族そろってのご飯が何よりもの幸せだという。

 

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そんな大事な時間を「よっしゃー!いっぱい練習するぞー。まだ明るいからあと一時間!」と半ば強引に奪っていたことになる。

 

申し訳ないので練習時間は変えずにテンションだけサマーモードでやってます(笑)

 

同僚にも息子や奥さんがいてるし子どもたちにも待っている家族がいる。

 

あれ?俺だけ一人じゃね?

 

 

 

 

 

日曜 Navusoに住む先輩隊員のとこへ同居人と遊びに行きました。

 

田んぼと畑と林を抜けてちょっとした山の斜面みたいなとこに住んでました。

 

The協力隊みたいなとこ。

 

道路はもちろん整備されていないのに

 

裸足で歩くもんだから砂利が刺さるか泥だらけになるかの二択

 

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丘を越えてニワトリの卵を取りにいったり豚にエサをあげにいったりレモンを貰いに行ったり

 

足が汚れるのがすごく嫌いな自分も流石に諦めるほどの体験でした。

 

 

 

 

 

我々をホストとして迎えてくれた先輩隊員は現地のフィジアンと完全に家族化してました。

 

「こいつは俺の息子だよ。ワッハッハー」と親父さんは言い

 

家族同然のように振る舞い扱われる姿を見て少し羨ましかったです。

 

イジりイジられ、殴り殴られゼロ距離の関係を築いていました。

吸い途中のタバコまで共有する彼らは今日から田舎に一緒に帰ってクリスマスもみんなで過ごすのだとか。

 

素敵な関係だな~

 

 

 

「日曜日は安息日だから働いちゃいけない」

 

日曜に洗濯するだけでも怒られるというこの村

 

音楽に合わせて体を揺らすだけで「ダンスもダメ」と(笑)

 

日曜はとにかくゆっくり家族との時間を楽しむ。

 

これがここの人たちの幸せなんだと教わりました。

 

日曜にバスが走らないのも店がしまっているのも野球の練習をしちゃいけないのも

 

全部家族との時間のためでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「メンティー(ケント)はクリスマスどうするの?暇だったら遊びに来てもいいからね」

 

という不意打ちを食らい

 

またまた「あれ?俺だけ一人じゃね?」となりました(笑)

 

 

帰り際に少し泣いてしまったのはヤンゴナ(カヴァ)を6時間飲んだせいです。

クリスマスの話は関係ありません。全然関係ありません。

 

 

 

 

 

フィジーで「ケント」という名前をいうとかなりの確率で「メントス⁉」と返ってくる

 

メントスとかメンティーとか素敵な名前と素敵な思い出を貰いました。

 

 

 

 

 

自分から見ると過酷な状況でも、彼らは大変な思いをしてるとは感じていないし

 

彼らが首都に出てきたらそれはそれで大変なのかもしれない

 

 

 

村に入ってすぐ「ここじゃ野球できねーな」と言った自分が恥ずかしく思えます(笑)

 

 

環境が違えば苦労や悩み、幸せ感じ方だってこんなにも違うのかと

 

どっちが良いとか悪いではないのだなと

 

そんなことを感じた次第です。

 

 

少しだけ協力隊っぽい体験をした週末でした。

 

 

 

首都に住む自分は地方の状況を話で聞くぐらいで「大変だなー」と他人事に思っていたけど、実際に先輩が生活しているのを目の当りにして、考えさせられるものはあったし「来てよかった」と思いました。

 

 

 

 

異文化理解はきっと一歩通行じゃなくて

 

「現地の人が暖かく迎えてくれた」っていうこっち側の想い出と

 

メントスって日本人が来て一緒にカヴァ飲んだな」っていう向こう側の想い出もあるはずで

 

そう思うとどんなことにも挑戦する意味はあるのかな。

 

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最後に先輩が下さったお言葉を…
 
 
Knowing and understanding are diffrent

 


 
まさに “知ってる”のと“理解している”のでは全然違う  ってやつでした
 
体験したからこそ体感したものが言葉にできるし誰かに伝えられるし自分の経験になる。


ぶーぶー言いながらも裸足で泥沼を歩いた意味はきっとある。

 

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

何のために?

来年の1月に控えたオセアニアチャンピオンシップへ向けて、ナショナルチームの練習が続いている。


先週からスクールホリデーに入った首都スバは多くの若者でにぎわっている中、繁華街ではなくグラウンドに足を運ぶ彼ら。

 

最近では集合時間通りか少し早めに来ている選手もいる。大きな変化である。

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  • 何のため?
  • お金のため?

 

 

 

技術云々も非常に大事だが人間的な成長こそ大事だと考えたい。
野球をやって野球だけ上手くなっても、野球の技術が日常生活で役に立つことは殆どない。

 

ってなわけで野球を通して人間教育ができたらなと偉そうに思っているわけですが、その辺の話はまたそのうち…

 

 

私は現在ありがたいことに野球を生業にさせていただいているが、ここフィジーにおいて野球で生活しているのは私と同僚の二人だけだ。

 

 

「野球では飯が食えない」というのが専らの見解だ。

 

フィジーにおいて野球は超マイナースポーツ。仕事にできるわけがない。

もちろん野球のプロリーグも “未だ” ない。(だから普及員として派遣されている)

 

日本で生まれ育ち、4歳から野球をやっている自分にとって当たり前のようにあった「プロ野球」がない。

 

    

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野球少年にとってそれは夢であり憧れであり目標。

 

勿論それだけが全てではないが大半の野球少年が目指しているものだろう。

私もその昔「プロ野球選手になる」ことが夢だった。

私の夢、目標は「プロ野球選手になること」であって それ以上でも以下でもなかった。

 

「なぜ?」と問われたことはないのでわからないが今になって推測するに「野球が好きだから、野球を仕事にしたい」と考えていたのではないだろうか。

 

実際のところは「カッコいいから」だったかもしれないし、当時の私はクラスの誰よりも早く野球を始めていたし誰よりも走るのが速かったし誰よりも野球が好きだった(最後のは自称)故に野球をしていることが自分のアイデンティティのようなところもあったかもしれない。

 

 

つまり何か明確な目的をもって野球をやっていたわけではない

「お兄ちゃんが始めたから僕もやる」そんな理由で入った野球チームで幼稚園の頃から「週末には野球をやることが当たり前」になっていた。

 

これまでもこれからも「当たり前のように」野球をやるもんだと思っていた。

プロ野球選手になって、いつまでも野球を続けていくのだと。

 


プロ野球選手ではないが23歳のいまでも野球に携わっているし野球を仕事にしたい」という夢はある意味で叶ったことになる。

 


彼らは何を目標に野球をやっているのだろう。

彼らの夢は何だろう。

 

 

Why do you play baseball?
What do you play baseball for?
What is your goal?
What is your purpose?

 

 

こんなことばかりを尋ねる毎日。

考えてほしいから。

 

親に無理やらされているわけでも、誰かに頼まれたわけでもなく、自分たちの意思でグラウンドに来る。

何のために野球をするのか。

考えてほしい。

 

 

どんな答えでもいい。考えたうえで「(未だ)わからない」も答えだと思う。
でも考えてないのは良くない。


「エクササイズ」とか「健康のため」でもいい

なんだったら「暇つぶし」でもいい

「好きだから」とか「楽しいから」だったら最高だし

「グラウンドが居場所」っていう子も居るかもしれない。

 

 

 

 

 


ある選手にこんなことを聞かれた。


オセアニアの大会で買ったらお金もらえる?」

 

現段階では優勝チームへの賞金などの話は出ていない。

 

「世界大会へのチャンスが貰えるよ」

「世界大会で買ったらお金もらえる?」

 

この問いに対する正しい回答は判らなかった。

 

プロ野球選手になれるチャンスが貰える(かもしれない)よ」

 

決してウソではない。世界大会ともなれば各国からメディアやスカウトが来る。彼らの活躍が目に留まれば…というのは可能性の範囲ではありうる話だ。

 

プロ野球選手になったらお金がもらえる?」

「貰えるね」

 

ラグビー選手の何倍も貰えると言ったら目を輝かせていた。

 

家を建てて車もパソコンもケータイも2台づつ買う。
グローブは3つスパイクは6個買うんだ。
ケントと同じサングラスも欲しい。

 

 

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 彼女をいっぱい作る。っての以外は応援すると言った。
ついでに無職だったら雇ってくれるという約束もした。
 
彼は「プロ野球選手になってお金持ちになりたい」と言った。
 
目標は“お金持ち”になることで“プロ野球選手”はあくまでも手段。
 
ただ「プロ野球選手になりたかった」小学生の頃の自分の夢よりも、明確なものを描いていた。

 

 

プロ野球選手になって活躍したいでも
プロ野球選手になってチームを優勝させたいでもなく
プロ野球選手になって美人アナウンサーと結婚したいわけでもない。
あの頃の大嶋少年は“ただ”プロ野球選手になりたいとしか思っていなかった。

 

その点その選手は“なんで”プロ野球選手になりたいのかが自分でわかっているだけ夢には近いと感じた。

 

自分でこそ「好きだから、楽しいから」野球指導者を選んだわけで
プロ選手の中にも「お金の為にやっているわけじゃない」という選手もいるだろうし、それは素敵な考えだと思う。


しかし、途上国にて「お金のため」にプロ選手になろうと考えるのは至極当然なことだし、それを否定することはできないと思った。

 

「お金のため」に何かをすることが恥ずかしいことだと思っていたことが恥ずかしい。


“何のために”やるかなんてみんな違うだろうし、ゴールが明確なほうが到達もしやすい。

そんな事を12歳の子どもから教えてもらった。

 

その日から「夢が逃げるぞー」とボールを追いかける少年に檄を飛ばしている。

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

 

本気かどうか

久々に郵便局に行った。

 

  • しつこさと粘り強さは紙一重
  • 想像しうる大抵の願望は本気で取り組めば叶う
  • 本気かどうか

 

今日は受け取りではなく発送の為に。

自分の体ほどある段ボールを抱えてタクシーから降りると郵便局のカウンターへ進む。

箱の大きさに周囲がざわつく。

 

「海外に送りたい」といってカウンターに乗せると大柄のスタッフが隠れるほどの大きさ。

 

「この箱は大きすぎて無理ね」と一蹴。

 

「違う箱に入れ替えろ」とか「うちじゃ扱えない」とか「他の業者を当たってくれ」とか

散々「we can not」と言われたが こっちとしても送ってもらわねば困る。

 

 

「中身は意外と軽い」とか「I have to send it」とか言って必死に食い下がった。

 

時間にして1時間半くらい英語でのやり取りを辞書を片手に続けた結果

「あんた名前は」と何とか受け入れてもらえた。

 


よくある話だが外人相手の厄介な案件は「ウチでは取り扱っていない」と言って断るケースが多いとか

調整員にそんな話を聞いていたので諦めずに戦った。

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トータル2時間半の格闘と中身の1.5倍の送料を払って郵便局を後にした。

しつこさ粘り強さは紙一重
粘り勝ちと言ったとこだろうか。


今回の件は郵便局側からすると迷惑な客だったのかもしれない。


しかし本当に無理かどうかくらいスタッフの態度を見ればだいたいわかる。
さらにこちら側の本気度も相手には伝わったんだと思う。

 

 

 

想像しうる大抵の願望は本気で取り組めば叶う。

 

 

先輩隊員が2ヶ月で5キロのダイエットに挑戦していると言っていた。
「成功したら1億円もらえる」と言われたら1週間で5キロ落とせるだろう。

 

散らかった私の部屋も「エマワトソンが遊びに来る」となったら20分でピカピカにする自信がある。

 

目標を達成したり夢をかなえたりするのに必要なのは才能じゃなくて本気度だと思う。

 

 

「○○したい」
「●●になりたい」
と言いながらも本気でそう思っていないから叶わないだけ。

 

水を飲むのだって、ドアを開けるのだって、階段を上るのだって

無意識のうちに「こうしよう」という指示が脳から出て体を動かしてる。

 

本気で「水を飲みたい」と思ったら、「まず水を探す」という指示が出て体を動かす。

これが本気じゃなかった場合「なんとなくのどが渇いたなぁ」と思って終わってしまう。

 

大きな違いは本気度の有無で、それが行動の有無に繋がる。

 

才能とか根性とかそんなんじゃない。

 

 

 

本当にやりたいと思うかどうか。

 

本気かどうか。

 

 

 

スイッチが入れば人は勝手にやりだすもの。
やる気スイッチよりも本気スイッチ

 

 

やる気のスイッチ! (Sanctuary books)

やる気のスイッチ! (Sanctuary books)

 

 

 

 

本気で続きが気になる」と思ったが為に昨晩2時まで“キングダム”をYoutubeで見ていた私のように、人はスイッチが入れば隠れてだって徹夜してだってやる。

 

 

 

子どもたちだって楽しくなると休憩中であろうとコーチの制止を振り切ってまでも練習を続けたがる時があるし

今日だって昼の練習後、私の乗ったタクシーを追っかけて「バッティングさせろ」とオフィスまでついてきた。(だったら集合時間に来なさい)

 

このスイッチを見つけられれば彼らはもっともっと成長するだろうなと思いながら日々スイッチを探しています。

 

 

隣の部屋にめっちゃ美味しそうなステーキが置いてあったら誰でも食べに行きたくなる。

「○○したい」と“本気”で思わせたらあとは勝手に努力するので結果は出る。

 

自分のスイッチのは見つけるより作ること。

目標より、目標を達成した後のご褒美(努力の副産物みたいなもの)を想像するとスイッチが入りやすい

 

 

それができたら何が嬉しいのか、何を得られるのかを考えるだけでワクワクしてくるのがスイッチ。

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☝(フィジーで)やることリスト11月23日現在

 

「洋楽を歌えるようになったら(多分)カッコいいから」という理由で最近洋楽ばかり聴いていましたが、そもそも「英語喋れるようになればいいじゃん!」ということに気づき英語を本気で喋れるようにしようと思います。

 

まずはいっぱい使うこと。何の用がなくても同僚に子どもにセキュリティに話しかけてます。

 

本気になれば何でもできる!

 

 

 

 

NO SWING
NO HIT!!!!!

ひっくり返す

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ある人が話してくれた漫画家の話。



日本アニメ界の伝説 手塚治虫
彼を“神”と慕う人も多い。
ジブリ映画の生みの親 宮崎駿もその一人。

 

宮崎駿監督作品集 [DVD]
 

 

手塚のマンガを読んで(10代のころ)漫画家を諦めたというエピソードも残っている。

虫プロ創始者であり数多くのアニメーションや漫画を生んだ手塚は間違いなく成功者と言えよう。


しかし、成功者が必ずしも正しいとは言えない

アニメにだって正解不正解はなくて、あるとしても国や時代によって変わっていく変動的なもの。

あるとき「手塚は(作中で)人を殺し過ぎる」と気づく。

“人の死”はドラマになりやすい。感動を呼ぶにはあまりにもたやすい。
命を軽んじているわけではないが、戦中を生き抜いた手塚と宮崎では時代が違う。

今の時代に“死”を描くのは必ずしも正解ではないのかもしれない。

「何かを正解と決めることは、それ以外を否定することになりかねない」

例えば…「暴力は絶対ダメだ」と主張することは“暴力を働いている人”に対する「否定」という名の暴力なのだ。と彼は続けた。

 

 

正解、常識と呼ばれているものを一度疑ってみる。
大前提を覆して考えてみる。

そんなきっかけをくれた話だった。

 

 

 

  • 大前提をひっくり返す
  • 実際にやってみて
  • フライボール革命

 

 

 


土曜日の練習。トレーニングシューズではなくサンダルで行ってみた。

普段、殆どの子どもが裸足かサンダルで野球をしている。
街に出てもバスに乗っても学校に行っても靴を履いている人は少ない。

アスファルトでも芝でも泥の上でも裸足の彼ら。

「裸足で野球なんて危ない」→「靴を履いた方がいい」という大前提をひっくり返してやってみることにした。

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芝生の合間から石や砂利がむき出しのグラウンドでは歩くのもゆっくりになる。
結果から言うと足裏が痛くて殆ど走れなかった。


裸足で全力疾走している彼らの足の皮は相当分厚いに違いない。

やってみて分かったことは彼らのタフネスさと裸足のほうが地面を指で掴む感覚や踏ん張りは効く。

サンダルを履くよりは裸足のほうがプレーしやすい。フィジアンは皮膚が厚いから多少の凹凸も平気なのかもしれない。

しかしグラウンドの端には割れた瓶が捨てられていたり細かい砂利で足を切ったりすることも在る。

パフォーマンス面でも安全面でもやはり「靴を履いた方がいい」という結論に至った。

それでもこの実験をやったことで彼らの痛みや強さがわかったし、グラウンド内の問題点も見えたものがあった。


「コーチもフィジアンスタイルに挑戦してる」という評価も得られた。

危ない(だろうから)推測でと決めつけていたものを、実体験から考察を経て答えを出せたことに意味があると思う。


実際にやってみて、なんで靴を履いた方がいいのか。の“なんで”の部分がより明確になった。

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野球界で長年“正解”とされてきたレベルスイング指導。
ホームラン狙いのアッパースイングは否定され続けてきた。

しかしメジャーの統計からみても多くの選手がアッパースイングで結果を出し始めている。

「フライボール革命」である。

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しかしそれも「外人はパワーがあるから」なんて屁理屈で片づけてきた日本人。

高校通算本塁打記録を塗り替えた清宮選手も二刀流で打撃も急成長の大谷選手もアッパースイングだ。

 

 

時代は変わってアッパースイングが当たり前になるのも考えられなくもない。

筋肉が未発達な子どもではバットのヘッドを支える負荷が増すため難しいことは事実だが長打が出やすい角度であることは間違いない。

 

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長打を狙ったフルスイング。チームバッティングのコンパクトスイング。

勝つことも体験させたいけど、長打の快感だって野球の魅力だ。

なるべく強制はせずに選択肢を与えてのびのびやってもらいたい。

 

 

「天才」と呼ばれて鳴り物入りで球界に入っていく選手たち。

これまで異端とされていたアッパースイングを否定されても結果を出し続けてきたからプロになりメジャーになったのかもしれない。

 

「プロだから出来る」とか「アマだからダメ」とか

 

そんなんをもう一度疑ってやってみる。

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

 

 

NO SWING NO HIT!!!!!

この世の人間は2つに分けられる・・・
スウィングする者とスウィングしない者だ。 

映画スイングガールズの劇中に何度も出てくる台詞です。

 

 

スウィングガールズ スタンダード・エディション [DVD]

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野球のシーンでも同じ台詞出てきます。

 

竹中直人すきだったな

 

 

  • 5年生のころ
  • なんで振れなかったのか
  • 振らないこと
  • 振ること
  • まず振ってみる

 

 

 

 

 

小学校5年生のころ。6年生が4人のチームですでにレギュラー入りしていた自分は上級生の試合にも出ていた。

 

対戦相手は殆どが上級生。

 

相手ピッチャーは市の選抜チームにも選ばれた剛腕投手。

 

球、めっちゃ早い。

公式戦の雰囲気。最終回7点差(リードされている)の壁。

ベンチからの応援という名のプレッシャー。

 

恐怖。

 

2球連続で見逃しあっという間の2ストライク。

ベンチの親父(当時監督)から怒号が飛ぶ。

 

振らなきゃ何も始まらない

 

何度も聞いた台詞。自分に対して言われたのは初めてだった。

 

恐怖でバットが振れないことなんて初めてのことだった。

 

怖い。振っても当たらないし、振らなきゃ怒られるし…

 

 

3球目インコース。飛び上がるようによけて盛大に転ぶ。

びっくりして涙が出る。

 

怖い。涙が出る。あの頃はすぐ泣いていた。

 

振らなきゃ何も始まらない

 

またかよ

 

この時の自分には‟諦めうる条件”充分に揃っていた。

 

上級生、剛腕、最終回7点差、それまでの打席の凡退

 

極めつけは恐怖。‟怖い”という感情が脳みその大半を支配していたと思う。

 

そりゃ身体は動かない。

 

なんで振れなかったのか。

 

最も大事な‟打ちたい”という気持ちがなかったから‟バットを振る”という行動を選択できなかった。

 

‟打ちたい”と思えば“打つために”どうすればいいのか、誰でもわかることだ。

「とりあえずバット振らなきゃ打てないっしょ」って話。

 

何かを諦めるときって意外とこうなりがち。

 

「苦手だから」とか「この前失敗したし」とか「調子悪いもん」とか

積極的に“出来ない理由”探しがち。

 

 振らないこと

 

振らなきゃ何も起こらない。

野球の場合は打席に立ってれば四死球の可能性もある。

それか見逃し三振しかない(一応振り逃げもある)

相手ピッチャー次第。

 

運命の舵を相手(他者)に委ねるということ。

自らの意思による行動を放棄することになる。

(「何もしない」という行動も時にはあるが)

 

振ること

 

振らなかった時の結果は以上の3パターンだが、バットを振った瞬間に結果の可能性は無限に広がる。

 

バットを振ればキャッチャーがボールを落とすかもしれない。

 

打撃妨害だって、振り逃げだってある。

 

ファールになればもう一度チャンスがある。

 

内野に転がせばイレギュラーだってエラーだっておこる。

 

誰もいないところに落ちればヒットだし

 

間違って芯を食えば長打だってありうる。

 

 

 

 

 

あの日の大嶋少年は‟打ちたい”という気持ちを忘れて嫌々バットを振った4球目。

打球はライトの頭上を越え結果的にはホームラン。

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試合には負けたけど何かが変わった日だった。

 

親父は何も言わなかったけど嬉しそうだった。

 

 

あの日の成功体験があるからフィジーに来てる。のかもしれない。

 

青年海外協力隊として派遣されて5か月が経とうとしている。

 

恐怖で涙を流すことはなくとも、迷うことや足が重くなることは多々ある。

 

そんな時に“とりあえず”の一歩目が出せるように。

 

まずは振ってみる

 

振って初めて振り方がわかる。

 

バットの重さも、スイングの軌道も

 

振ってみないことにはわからない。

 

打てるかどうかじゃなくて‟打ちたい”かどうか

 

振るかどうか。

 

この世の人間は2つに分けられる・・・
スウィングする者とスウィングしない者だ

 

スイングする者に

 

 

NO SWING

NO HIT!!!!!‼

 

 

そんなわけでブログも始めてみようと思います。

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