いつもの場所
新年明けましておめでとうございます。
新成人の皆様おめでとう御座います。
私は都内で転居を繰り返した事もあり(当時の地元に友人もいなく)成人式に出なかったので大した思い出もないのですが唯一覚えているのは二十歳の誕生日を友人の家の駐車場で迎えた事。
一人暮らしの友人の家に入り浸っていた4人組で小さな車に背中を丸めて海まで行った思い出。
あの日は台風が接近していて大荒れの海を海岸から眺めながらパンツだけになって騒いだような。
文章にすると恥ずかしい話です。
あの頃はまさか自分が大卒で海外で働くなんて想像もしていなかった訳ですが、「人生何があるか分からない」とはよく言ったもので気がつけば海外で野球を教えているし通訳の仕事(のような事)もしたしコラムの依頼なんかも来る様になった。
2018年 24歳という節目の年にフィジーで沢山の方に出逢い色んな体験をし、沢山学ばせて頂きました。
有難うございました。とこの場に書き記した所で伝えたい人達には届かない事も多いので、どうにか違う形で返していけたらと考えております。
任期も残り半年となり2019年の半分は日本で過ごす事となりそうです。
就活も考えなければいけない所ですが、まずは目の前の活動を遣り切ってから
2年間の活動のメインのナショナルチーム。
本来であれば今週までオーストラリアで大会に参加しているはずでした。
U12 Oceania-Champion ship 2018年度メインの活動のゴールを設定していた大会でしたが、参加国不足のため大会自体が中止。
2019年7月のW杯にはランク上位のオーストラリアが出場決定。
約2ヶ月。大会に向けて日曜以外ほぼ毎日練習してきた。
スポンサーも探してきて、ユニフォーム発注して…
任国内での活動では何度かこーゆう事もあった。
雨でミーティングが流れる。
フィジータイム(島国あるあるののんびりした時間)でイベントが遅れる。
サイクロンでイベントが中止。
ただ今回の大会は国際大会だし大会自体が無くなるなんて毛頭考えていなかった。
どうしようもない事なのだろうけど、直ぐに受け入れる事は出来なかった。
このニュースを同僚の口から聞いたのが12月の半ば。
やっと子ども達がチームらしくなり始めた大会の3週間前だった。
住んでいる家も停電し、同居人も出張で居ない中 1週間ほど一人落ち込んで居た。
あの1週間は本当に気持ちが落ちて料理も掃除も出来ずに真っ暗な家で寝る為だけに帰ってたくらいだった。
ご近所の皆々様方ににだいぶ助けられました有難うございました。
落ち込んでいたのは自分だけで選手たちは次の週から切り替えて練習にも笑顔できていました。
ちょっとくらいの嫌なことは忘れてしまう。
今目の前のことを楽しむ才能に本当に救われる。
最高の道具があれば最高の料理が作れるわけではないように、
— 青木想(Sou Aoki)@愛すべき経営企画室 (@Loveable180220) 2018年11月9日
最高のスキルや経験があれば、
何かが実現できるなら、
人生は永遠に〝道具集め〃で終わってしまう。
「何かがあればできること」より
「今あるものでできる最高のこと」
を考える方が、ずっとずっと可能性に満ち溢れている。
こーゆうことは人生においても稀に起こり得る。
僕の人生でも何度も経験した。
ただ、だからと言って卑屈になるんじゃなく チャンスが来た時に飛び込める様に今出来ることを一生懸命やろう。
同僚が”大会中止”を子ども達に告げた時に話してくれたこと。
発展途上国に生まれ育った彼らは、我々なんかよりもよっぽど理不尽に耐えて来たのかも知れない。
ただ、この大会は2年という短い期間しか我々には与えられていない中での年に一度のビッグイベントであり「残念でした」では済ませられないのも事実。
このダメージは、この虚しさは「あんなに頑張った子ども達が不憫でならない」と言った類の物だけではない。
自分の教え子が活躍する姿が見たかった。
去年のU15の雪辱を晴らしたかった。
no-swing-no-hit.hatenablog.com
フィジー野球がどれくらい通用するのか見たかった。
その他諸々の色んな期待を背負っていただろうし、教え子たちと世界の舞台に立ちたかった。
悔しいのか哀しいのか虚しいのか今の自分の語彙力では表現できないけれど大会中止に至った経緯があまりに気持ち良くないものだった(特定の国の事など複雑な事情をここに書く事はしないけれど立場などを全部取っ払えるなら小一時間ほど文句を言ってやりたい)
ただ ここまで任国に、チームに、教え子に感情移入が出来てるってのはいい事だ。と友人が教えてくれた。
これをただの仕事だと捉えるのなら面倒なイベントが一つ無くなっただけの話。
それを嬉しく思えないのは気持ちも彼らと一緒に在るからじゃないかと。
そう言われればそうなのかも知れない。
昨年も多くの人がフィジーを尋ねてきてくれた。
(大嶋の連携不足で来られなくなってしまったカズさん御免なさい)
トンガ、サモア、バヌアツ、マーシャル、ミクロネシア、、キリバス、日本から
同期、母親、元プロ野球選手、新聞社のジャーナリスト、大学院生の団体
ここ1ヶ月で5回もスバ市内を案内した。
運よくフィジーは協力隊の入っている(大洋州の)どこの国からも来る事が出来る。
日本からも直行便がある。
外から誰かが来ると決まって案内するのが夕方の海沿いとマーケットの2階。
決して綺麗とは言えない首都の海も、夕方だけは綺麗にみえるし
2階から見るマーケットの果物売り場も曜日によって景色が変わる
自分の好きな景色を見てもらいたいし、少しでも好きになってくれたら嬉しい。
元プロ野球選手が来てくれた時に食べたマーケットのパイナップル
「今まで食べたパイナップルの中で一番美味しい!」
あの言葉が一番嬉しかった。
http://www.giants.jp/smartphone/G/column/36026.html
大して案内できる所も無いのだけれど、ここがアレでこっちを曲がるとあれがあってと説明したくなる
自分の地元に友達が遊びに来てくれた様な感覚
いつからかここが帰って来る場所になっているし、フィジーは自分の住む国になっている。
協力隊の良いところは当事者意識が生まれるところかも知れない。
日本に居たら海外の問題なんて頭の片隅にも置かれないだろうけど、自分の住んでる国となったら話は別だ。
自分の国の問題は放って置けないし、自分の教え子の事だから文句も言う。
当事者意識が芽生えてるから。この国に住んでいるから。
カメラマンの遊びに付き合ってたら被写体にして頂きました。With the Southern Cross#fijilife🌴🌺
「見て、いつもの場所に星がある!」
少し前に夜空を見上げた時に同期が言った一言。
何の星座だったのか憶えていないが、スバの空には珍しくそこにハッキリと見えるものがあった。
“いつもの場所”が何処なのかも僕には分からないが
日本からは見えない空がそこにはあって、それが僕のアナザースカイになっている。
今ではフィジーが“いつもの場所”になっている。
あと半年で何が出来るだろうか。
寂しさと楽しみな気持ちが入り混じった2019年のスタートです。
http://world-diary.jica.go.jp/oshimakento/7.php
JICAの世界日記にわざわざメッセージを下さった方。
侍ジャパンのコラムを読んで連絡をくれた方。有難うございました。
http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20181207_1.html
遂にこちらのブログにもファンだと言う方が現れました(笑)
正確には友人の旦那さんが読んでくれていると言う話らしい。
何処かの誰かに向けていると言うよりかは備忘録程度に残しているこちらのブログさえも、楽しみにしてくれている方がいると言うのは励みになります(正直照れ臭さが勝ってます)
いつかもっと大人になって読み返した時に馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうのか、恥ずかしくて顔から火が出るのか楽しみです。
キリスト教の聖書の中にこんな一文がある。
Somebody every time looking at you , then reword to you.
善い行いもそうじゃない行いも全部誰か(神様)が見ていて、それは自分に帰って来るんだと。
:一部省略
U12の大会は無くなってしまったけどここに居る皆んなは練習に来続けた。
だから今回コーチ(元プロ野球選手)が来てくれたのかもね。
12月の終わりに元プロ野球選手が来てくれて野球教室を開いた際に子ども達にこんな話をしたのを、この記事を書きながら思い出しました。
「あの話がそのまま自分に帰って来たわ」とそんな心境です。
とは言えあまり意識せずにマイペースにやって行こうと思います。
相変わらずの駄文ですが最後まで読んでいただき有り難うございました。
2019年も変わらぬお付き合いの程どうか宜しく御願い致します。
NO SWING
NO HIT!!!!!